おじさんたちが寵愛したおニャン子時代

 1986年、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の公開オーディションで合格し、おニャン子クラブの会員番号38番となった工藤。

秋元康、後藤次利、現フジテレビ社長の港浩一、とんねるずなど、当時、実力を持っていたフジテレビの男たちに“姫”と呼ばれていたぐらいですから、おじさんたちへの食い込み方はすごい」(前・同)

 どのようにしておじさんたちのハートを射止めたのか。

「工藤さんは、とにかくマメ。生意気な態度をとりながらも手作りお菓子などを配るなどのギャップがあるんです。番組内でクイズに答えられずに発言した“だって私バカなんだもーん”には、おじさんたちが目をハートにしていました。とんねるずの石橋さんはおニャン子メンバーから嫌われていたけど、秋元康の嫁となる高井麻巳子と渡辺満里奈と工藤静香だけは石橋を無視しなかったそう」(番組関係者)

 この人、と思った人間にはとことん懐くのが静香流!?

『嵐の素顔』でデコトラクイーンに

おニャン子クラブから’87年にソロデビューしたころの工藤静香
おニャン子クラブから’87年にソロデビューしたころの工藤静香
【写真】木村拓哉がしれっと“解禁”した工藤静香とのツーショット

 おニャン子クラブが解散し、ソロデビュー曲は作詞に秋元康、作曲に後藤次利という当時のゴールデンコンビがタッグを組んだ『禁断のテレパシー』。衣装は徐々にアイドル的なものから肩パッド入りの紫スーツなどに変化し、他のアイドルとは一線を画し始めていく。

「当時、アイドル四天王と呼ばれた中山美穂さん、南野陽子さん、浅香唯さんが爽やか路線の正統派アイドルで売っている中、工藤さんは陰がありそれが魅力で人気を博していました。歌唱方法も『嵐の素顔』あたりからアイドル歌唱からドスのきいた声を出すように。

 さらに衣装も本人のこだわりで紫などが多く、トサカを立てた前髪に茶髪のロングヘアはヤンキーたちから絶大な支持を得ました。最近は見かけなくなりましたが、当時はトラック運転手が自分の好きなアイドルのペイントをトラックに施す“デコトラ”という風習があり、工藤さんをペイントしたトラックは群を抜いて多く、デコトラ界のクイーンと呼ばれていました」(芸能記者)

 ヤンキーたちから絶大な支持を得た工藤。強いファン層に支えられていく。