アメリカに行って結婚しようと言われ迷わず「イエス」
シンデレラ・ストーリーだった。横浜のディスコで“歌姫”と評判を呼び、ある晩偶然の再会を果たす。
「ディスコのハコバンはたいていひとつの店と数か月単位で契約していて、それが終わるとまた別の店に移ります。『LA MOON』での仕事が終わり、私たちが次に移ったのが横浜西口の『K&E』。私はその後すぐにひとりで『MAGIC』へ行くことになった。『LA MOON』より少し高級で、ディスコというより歌って踊れるレストランという感じでしょうか。
そこで私たちの後に出演していたのがC.C.O。17歳のころ、バイト先の喫茶店で『私も歌いたいの』と言って以来、3年ぶりの再会でした。あのときはまだ女子高生でした。『オマエ、本当に歌うようになったんだな』と、彼らも驚いていましたね。そこでC.C.Oに『ウチでも歌えよ』と誘われ、立場が逆転! 私は『ふーん』などとクールを装いつつ、内心にんまりという心境。その後、実際彼らのバンドのボーカルとしてステージに立っています」
キキと彼、トニーとシンシアの4人で暮らし始めてからすでに2年の月日がたっていた。恋も仕事も順調で、この日々がずっと続くと信じていた。
「ある日キキの彼が基地でトラブルを起こし、急きょアメリカに帰国することになった。キキも彼についてアメリカに行くと言います。寂しいけれど、しかたがない。キキと彼が去り、トニーとの2人暮らしがスタートしました。
そんななかトニーがバスケの練習中に仲間とケンカになり、花形のAチームからBチームへ降格を言い渡された。大きな屈辱だったようです。『我慢ならない、もうこれ以上ミッドウェイに乗っていたくない。ステーションを変える』と言い出した。
ステーションを変えるということは、アメリカに帰るということです。『一緒にアメリカに行って結婚しよう』とトニーに言われ、その場で迷わず『イエス』と答えました。もともと早く結婚して子どもを産みたいという願望が私の中に強くあったから。何よりトニーのことが好きで好きでしょうがなかった。アメリカでトニーと新たな生活を始めよう、そこで温かい家庭を築くんだ、と幸せな未来を夢見てました」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>