満身創痍でも、現役であり続けるために

「なんか暗いなと感じるようになってきて、あるとき娘の顔を見たら歪んで見えたんですよね」

 検査を受けると、まだ加齢黄斑変性という病名が一般的ではなく、中心性網膜症と診断された。しかも、両目に発症するのは非常に稀なケース。そして「治療法はありません」と眼科医から告げられた。年を重ねるほどに視野の中心に何も映らなくなっていく。

「アイツは人と目を合わせない、すれ違ってもあいさつもしないと、非難されることもありました。いまも“目線をください”と言われるのがいちばん困るんです」

 尾藤には、カメラの位置も、目の前にいる相手の顔もわからない。小さな文字も読めない。台本は人に読んでもらい、耳で聞いて暗記している。

ミュージカル『ゴールデン・ボーイ』の稽古場でのカット。「現場のムードメーカーでした」と川平(中央)
ミュージカル『ゴールデン・ボーイ』の稽古場でのカット。「現場のムードメーカーでした」と川平(中央)
【写真】演奏するビートルズの4人を見上げる尾藤と内田裕也さん

 ミュージカル『ゴールデン・ボーイ』('87年)で共演し、尾藤を「師匠」と呼ぶ19歳年下の川平慈英が、仕事の現場ではうかがい知れない尾藤の努力をこう話す。

「2人で浜名湖に行ったとき、“散歩してくる”と言って外に出た尾藤さんが、次のライブでやる曲の歌詞をイヤホンで聞きながら反復練習していました。いまは芝居のセリフも全部耳から入れていますけれども、目だけでなく満身創痍なんですよ。腰部脊柱管狭窄症の手術もして、一時は歩行器を使って歩いていたこともあるんです。それでもステージに上がれば一瞬でみんなが知っている尾藤イサオになって、踊るし、回るし、跳びはねますからね。僕もあんなふうに生きたいって、尾藤さんの背中を見ながら20年後の自分の目標にしているんです」

 いつまでも“現役”でいるために、尾藤は健康に関しても人一倍留意するようになった。1日3箱吸っていた大好きなタバコも64歳でピタリとやめた。

「ロックンローラーがタバコも吸えなくてどうするんだって思いましたけれども、キヨ(尾崎紀世彦さん)のおかげでやめられたんです。3年間、一緒にショーをやったときに、2人でコブクロの『蕾』を歌おうとしたら、僕が持っている音よりもキーが高かった。でも、原曲のキーというのは、その曲に一番合っているものなんです。キーを下げずに歌いたくてタバコをやめたら、声が鼻に抜けるようになった」

 ライブやディナーショーでの尾藤は、さまざまな名曲をカバーして観客を楽しませる。自分の声に合わせてキーを変えたりしないのは、オリジナルに対する敬意でもある。

 酒量も減った。若いころは毎晩ウイスキーのボトルを1本空けていたが、いまでは焼酎を適量たしなむ。

「よく尾藤さんと一緒にサウナに行くんですけれども、上がってから500円のホッピーを飲むのが恒例で。乾杯しながら、“これで満足できるオレたちは安上がりで幸せ者だよな”って、尾藤さんは悦に入る。

 プライベートではミリオンヒットメーカーのオーラが全然出ていなくて、本当にチャーミングなおじいちゃんで、七福神と一緒にいるみたいですよ(笑)」(川平)

 そんな性格が芝居にもにじみ出る。映画『感謝離 ずっと一緒に』('20年)ではデビュー当時からの友人である中尾ミエと熟年夫婦を演じた。

「気心が知れたミエちゃんのおかげでNGもほとんどなかった。僕もやっと自然な演技ができるようになったかな」

 尾藤のプライベートを語ってくれた人がもう1人いる。京都で100年続く老舗ブライダル企業の4代目で、内田裕也さんやミッキー・カーチスとも深い交友関係を築いてきた高見重光さんは言う。

「音楽をやってる人たちから尾藤さんの悪口を聞いたことは一度もない。

 けなしようがないんやわ。誰からも愛されるのは、尾藤さんが誰に対しても謙虚に誠実に尽くしているからで、人が喜んでくれることが尾藤さん自身の幸せなんやね。どんな仕事でも“ing”であり続けなければ“ほんまもん”やない。いまもステージで完全燃焼して、お客さんと“幸せ交換”をし続けている尾藤さんは、正真正銘のほんまもんやと思う」