橋田さんとTBSの関係
橋田さんを知る関係者は、
「橋田さんも90歳を越えて、“いつ死んでも”という考えだったと思います。実際、終活についての取材も複数受けていました。平成元年に夫と死別してからは、亡くなられるまで通いのお手伝いさんと暮らしていました。そのため自分が亡くなった後の使いみちをいろいろ考えていたのでしょう」
『渡鬼』の放送局であり、夫も当時勤めていたなど、橋田さんとTBSの関係は深い。
「亡くなられる2〜3年くらい前からですかね。“私が死んだら旦那もいないし、この家はTBSさんにもらってもらおうと思って、そういう話をしたの”と話していました。“広いからいろいろ使えそうでしょ。スタジオとかね”と」(前出・橋田さんを知る関係者、以下同)
鉄筋3階建て。書斎には数々の名作の脚本が並んでいたそうで、資料館としても活用できたかもしれない物件だったという。
「ゆかりのあるテレビ局に保存してもらえたら……という思いもあったのでしょう。しかしTBSも橋田さんの物件を引き継ぐなんて恐れ多いと思ったのか、活用が難しいと考えたのか、“でも、なかなかもらってくれないのよ”と話していましたよ」
橋田さんが設立し、理事長を務めていた橋田文化財団にこの件について問い合わせたところ、
「財団としてはそういう事実は確認できておりません。財団は橋田先生の遺言に従って事業を進めております」
なぜ話はこのような流れになったのだろうか。
「橋田先生はかなり内々に提案のような形で話をしていたようなので、限られた方しか知らなかったのかと思います。TBS側も同様で話は進まず、財団が主体となって管理する形になったのでしょう」(芸能プロ関係者)
かつて新婚旅行のメッカだった熱海だが一度は衰退、廃ホテルも目立ちゴーストタウンのような地域もチラホラという状況だったが、近年は開発が進み、観光客が増えていた。現時点で橋田さんの豪邸に買い手は付いていない。橋田さんによって名作が生まれ続けた終の棲家の未来は――。
※5月8日に追記しました