がんサバイバーとして伝えたい自らの体験

歌手・麻倉未稀さん(62) 撮影/伊藤和幸
歌手・麻倉未稀さん(62) 撮影/伊藤和幸
【写真】歌手への道が開けた“モデル”時代の麻倉未稀が綺麗すぎる

 麻倉さんは'07年、47歳のときに再婚している。子どもはいない。心臓に疾患を抱える夫の前では、心配をかけまいと一度も涙を見せたことがなかったという。だが、「歌えなくなるかもしれない」という怯えと焦りに“頑張り”も限界に達する。

“一回、泣いていい?”って言ってから、夫の前で大泣きしました。ここで自分の弱いところを見せておかなかったら、もう見せるタイミングはないと思ったんです。夫も困った顔をしていましたけれども、泣いたらスッキリして“私は大丈夫!”って(笑)

 がんの告知から2か月後の'17年6月22日。麻倉さんは左乳房全摘出および乳房再建手術を受けた。そして3週間後の7月14日、ギリギリのコンディションで歌った。

 復帰のステージは庄野真代さんとのジョイントライブ。先輩シンガーである庄野さんは、その日の麻倉さんにこんな印象を抱いた。

「未稀さん、輝いていました。以前に比べて、特別に何かが違うというわけじゃないんですよ。ただ、命と向き合った経験というのが、こんなにも人を輝かせるんだなと思いました。いまの彼女を見ていると、30代、40代のころにはいなかった別の人が、麻倉未稀の中から現れてきたっていう感じがします」

 いまの麻倉さんは歌手であるとともに、がん教育の啓発活動の実践者でもある。活動のパートナーは藤沢市出身で元プリンセス プリンセスのドラマーだった富田京子さん。

未稀さんはミュージシャンとして先輩ですし、10代のころに『スクール☆ウォーズ』を見ていた私からすれば、次元が違うスターでした」と話す富田さんは、ピンクリボンアドバイザーの資格を持ち、市の保健医療センターの活動にも携わっていた。

「ピンクリボン月間でトークショーに出演したとき、観客席を見たら、“おお、麻倉未稀がいる!”ってビックリして(笑)。未稀さんが乳がんに罹患したことは知っていたので、“よかったらステージに上がってきてくれませんか?”と声をかけたんです」

 それが'17年10月のこと。富田さんのトークショーの相手は、麻倉さんの主治医だった。手術をしてくれた先生の話を聞こうと会場に来ていた麻倉さんは、呼びかけに応じて登壇し、がんサバイバーとして自身の体験を語った。

「それからしばらくして未稀さんから連絡があり、“一緒に何かやらない?”と誘われたんです。藤沢市の乳がん検診率を上げたいという具体的な目標も聞かされて、それなら私も力になれるかなと思ったんです」(富田さん)

NPO法人『あいおぷらす』を設立

富田さんとともに『ピンクリボンふじさわ』を立ち上げた
富田さんとともに『ピンクリボンふじさわ』を立ち上げた

 '18年春、麻倉さんは富田さんとともに『ピンクリボンふじさわ』を立ち上げ、'20年7月にはNPO法人『あいおぷらす』を設立した。

 麻倉さんには地元の乳がん検診率向上の他にも目標があった。不安で押しつぶされそうになっていた手術前に訪れ、自身の精神面を支えてくれたのが豊洲にある『マギーズ東京』だった。がん患者や家族を受け入れるイギリス発祥の支援施設。病院でも家でもなく、お茶を飲んで過ごすだけでもいい安らぎの空間。

 そんな場所を地元にもつくりたいという願いから生まれた『あいおぷらすの家・いっぽいっぽ』の計画がいよいよ動き出し、今年3月30日にはキックオフ・イベントとなるチャリティーコンサートが藤沢市民会館で開催された。

「健康な人も含めてがんを学べる機会が必要だと感じています。でも、いきなり“がんとは─”では敷居が高い。きっかけは楽しいことが大事。だから歌なんです」

 自分の歌が、がん教育への関心を高める入り口になれたらいいと麻倉さんは話す。そして、こうも言う。「6年前と同じ歌い方はできない」

 おそらく、いまの麻倉さんの歌を聴いた人なら、かつての麻倉未稀とは違うことに気づくだろう。その上で、姉の美和子さんと同じ印象を抱くに違いない─。

「私も驚いているんです。彼女、どんどん歌がうまくなっていますよね」(美和子さん)