母からの大反対を押し切って歌手デビュー
麻倉さんが自分を表現することの面白さを初めて知ったとき、そこに歌があった。
「小学生のころ、“私、人とは違うんだな”と、ふと気づいて、協調しないと生きていけないんだと思い、一生懸命みんなに合わせていたんですけれども、そのバランスが中学生になって崩れてきて……」
不登校になりかけたこともあった。それでも仲のいい同級生はいた。歌のうまい友達に誘われるまま、一緒にオーディションに参加した。
「歌手になりたいだなんて全然考えていなくて、帰りにみんなであんみつを食べるのが楽しみで、後にくっついていっただけなんです(笑)」その気はないのに、合格。これに母の惇子さんは大反対。住んでいたのは大阪。母も祖母も大の宝塚ファン。
「宝塚でいいじゃないの」
「受かりっこない!」
幼いころから姉と一緒にピアノは習っていたが、歌も踊りもレッスンを受けたことはない。だが、オーディションで歌った体験は、自分らしさを表に出すことの解放感と充足感とを知ることになった。
行動力はある。
「内緒で歌謡学院の試験を受けたら、受かっちゃって」
もちろん母は反対。「断りに行きます」と学院に連れて行かれたものの、学院側の強いすすめもあってしばらく通うことに。その間に麻倉さんはレコード会社のスカウトの目に留まり、歌手としてデビュー寸前までいった。
「アイドルっぽい曲で、レコーディングもしたんですけれども、私が声変わりしてデビューは見送られたんです」
声質が変わっても、才能への評価は変わらなかった。東京でレッスンを受けながらデビューの機会を待ってはどうか? 用意された道に従い、麻倉さんは東京の高校への進学を自分一人で決めた。