占い師の助言で精神科に
「母はビックリして、誰に相談していいのかわからなかったんでしょうね。10人くらいの占い師に見てもらったら、10人が10人、“この子は両親の元を離れて生きる”と言ったらしく、それでますます心配した母は、私を精神科に連れて行ったんです(笑)」
1、2か月クリニックに通うと、医師は母に告げた。
「お子さんは、お母さまが思っているよりもずっとしっかりしています。親元を離れても大丈夫ですよ」医師の“お墨付き”に母も説得を諦め、娘を応援した。上京した麻倉さんは芸能プロダクションの練習生として歌のレッスンに励む。が、オーディションは軒並み不合格。
'70年代後半のアイドル全盛時代。麻倉さんの歌やルックスはアイドル路線から外れていた。麻倉さん自身も、歌いたかったのは大人の歌。
高校を卒業してもデビューは決まらず。進むべき道が見えなくなりかけたとき、姉が声をかけた。
「モデルをやってみる?」
当時、美和子さんは雑誌『ミセス』の専属モデルを務めていた。姉のすすめで雑誌『装苑』のモデルに応募すると、採用が決まる。そして、ファッション業界に身を置いたことでデビューのチャンスをつかむ。オンワードのCMソングがレコード化されることになり、麻倉さんもオーディションを受けた。
「とても素敵な曲で“これは逃したくない!”と思いました。でも、サビの部分が英語なんですよ。英語は不得意だし、どうしようかと……」
ここでも行動力を発揮。
「事務所が入っていたマンションに外国の人がたくさん住んでいたので、建物の入り口で待ち構えて“英語を教えてください!”って、発音や意味を教えてもらいました」
'81年8月、麻倉さんは21歳で歌手デビュー。英語のサビも完璧に歌った『ミスティ・トワイライト』のジャケット写真にアイドルの雰囲気はない。キャッチフレーズは“都会派美人シンガー”。11月に発売されたファーストアルバムのタイトルも『SEXY ELEGANCE』と、“歌手・麻倉未稀”はカッコいい大人の女性のイメージで歌謡界に登場した。
「ちょっと自分の性格とは違うなと思い、都会派ってどういうことだろうと思ったら、“あんまりしゃべらないように”と言われたので、いつも口にチャックしてました」