ノッポさんが8か月前に亡くなっていた。ひと言もしゃべらない番組のキャラクター同様、何も言わずに旅立った。
「心不全で死去したのは、'22年9月10日とのこと。“半年は伏せてほしい”という本人の希望があったそうで、誕生日の5月10日に公表されました。所属事務所の代表でマネージャーだった女性以外には隠されていたそうです」(スポーツ紙記者)
昨年6月にもテレビでタップダンスを
『週刊女性』も'22年3月にインタビューしている。生い立ちや番組の裏側を語ってくれた。
「ノッポさんが国民的な人気者になったのは、NHK教育テレビの『できるかな』に出演してから。もともとはタップダンスをやっていてミュージカルに出演していましたが、子ども向け番組でブレイク。大きな着ぐるみで相棒の『ゴン太くん』と一緒に、声を発さずにジェスチャーで会話をしながら工作する姿に、子どもたちは夢中になりました」(テレビ局関係者)
ゴン太くんの生みの親であり、『できるかな』を放送開始から支えていた造形作家の枝常弘さんに話を聞いた。
「僕がノッポさんと出会ったのは、'64年から'66年に教育テレビで放送されていた『おじさんお話してよ』。放送内容に合わせて変装をして、パントマイムをしていました」
枝常さんは、その番組で小道具を担当していた。
「'66年に始まった『なにしてあそぼう』にノッポさんが出ていて、新しい番組を始めることになり、'70年に『できるかな』がスタートしました。でも、ノッポさんは降ろされて、違う若手5人組が出ていた。それに対して幼稚園の先生などから“やっぱりノッポさんがいい”という声がたくさんあって、'71年から再びノッポさんが出るようになったんです」(枝常さん、以下同)
無声キャラのもとになったのはチャップリンだが、ノッポさんはハリウッドのミュージカル映画俳優のフレッド・アステアが好きで、タップを踏みながらのパントマイムをやりたかったのだという。
「ノッポさんが最後に出た番組は、昨年6月のNHK『ひるまえほっと』。そこでも、どうしてもタップを披露したかったようです。5月に会ったとき、立って演技をするのはムリでしたから、座ったままでいいでしょって言ったけど、本人はどうしても立ってやるって。実際、本番ではちゃんと披露しました」