子どものことを「小さな人」と呼び、常に“対等な人間”として接していた。
「とにかく子どもが好きでね。ウチの子どもにも“番組で使ったヤツだよ”って工作物を持ってきてくれました。あれだけ子どもが好きだったけど、ノッポさんと奥さんには子どもがいなかった。この辺りを転々と引っ越して“僕はずっと賃貸でいいと思っている”と言っていましたが、子どもがいなかったから家を買わなかったのかなって。きっと子どもは欲しかったはずです」(近所の男性)
“姉さん女房”だけには甘えて
プライベートでも『ノッポさん』を貫いていたが、唯一ワガママを言えたのが奥さんだった。
「私は奥さんと仲がよかったから、よく話しました。ノッポさんのことを“ウチでは気難しいのよ”と言ってました。朝起きるのが遅くて、10時くらいに朝食兼昼食を食べるとき、みそ汁がないと機嫌が悪くなる。それも豆腐、ワカメ、油揚げの3つが入っていないとダメ。1つでもそろっていなかったら“なんで用意してないんだ!”って文句タラタラだったそう(笑)」(近所に住む別の女性)
結果、奥さんは足りない食材を買いに行くハメに。
「“ホント嫌になっちゃう”って(笑)。家の外だとノッポさんでいなければいけなかったから、2つ年上の姉さん女房にだけ甘えていたんでしょうね。ふたりでいる時間だけが、ノッポさんから解放されたんでしょう。戦前生まれで、意外と亭主関白でしたよ。だけど、とてもバランスが取れたいい夫婦でしたね」(前出・近所の女性)
最後に住んだ家には、今もノッポさんの本名が記された表札がかかっていた。
「キャッチボールをしてくれました! 去年の春が最後かな。いなくなって寂しいです」(近所の小学生)
子どもも大人も、ノッポさんの家にやって来た。
「みんな、ノッポさんに悩みごとを聞いてもらっていたみたい。中には、彼が行きつけだった『モスバーガー』のアルバイト店員もいました」(前出・近所の男性)
ノッポさんは、誰にでも“できるかな”と優しく問いかけて、“さてさて、ホホゥ”と見守ってくれていた。