穏やかな日常から一転、莫大な借金生活
子どものころから、すでに今の強さの片鱗は見えていたようだ。幼少期は極度の人見知りだったが、9歳でバレエを習い始めてから、人前に立つ抵抗感がなくなったのだという。
「友人が理不尽な目にあうと、隣の教室まで抗議しに行くようなタイプなので、周りの男子は皆、私を怖がっていたかもしれません(笑)。何に対してもあまり動じなくて、小学生のとき肝試しに行って、皆がキャーッと驚いているのに私は冷静に見ていて、可愛げのない女子だなと(笑)」
生まれ育ったのは京都府屈指の花街がある祇園。父は洋服の生地を扱うサラリーマン、母もテーラーで、年子の妹がいる。明治生まれの祖母も同居しており、夏には和裁をしている祖母に浴衣を仕立ててもらったり、杉本はおばあちゃん子だった。
「白玉団子とか手作りおやつを祖母がいつも作ってくれて。料理もきちんとお出汁からとって作るのをずって見てきました。和裁もやっていたし、台所や家のことは全部女性の仕事という感じで育ったので、私のコンサバティブな部分はそういう影響を受けている気がします」
小学校高学年のころ、いとこが家に遊びに来たとき、
「何か、かやくご飯(炊き込みご飯)が食べたくなった」
そう言って突然台所でご飯を作り始めて、いとこに驚かれたことがある。中学に入ると制服姿のまま家族の夕飯を作るのが日課だった。
穏やかな生活が激変したのは、中学3年生のとき。父が知人の借金の保証人になり、その知人が返済しないまま失踪してしまったのだ。
父は脱サラして京都市左京区に店舗兼自宅を建てて家族で転居。母と小料理屋をやっていたのだが、悪徳金融業者に家を差し押さえられてしまう。莫大な借金を抱え、父はよその飲食店に雇ってもらい、母は知り合いのバーで働くようになった。
杉本が何より耐え難かったのは、両親のケンカが絶えなくなったことだ。
「母はすごく気が強くてヒステリックなところがあるので、口だけでなく手も出る。父はおとなしい人なので、ただただ母の怒りを受け止めて、引っかかれて血を見ることもありました。で、母に好きな人ができて、父が家を出て行ったんです。父が自分から出て行ったのか、母が追い出したのかはあいまいですが」
高校受験を間近に控えたある日、杉本は自室で左の手首を切って、自殺を図る─。
「母の愚痴を毎日のように聞かされていたんです。私はいつも冷静で動じないから、何を言っても大丈夫と思ったんでしょうね。でも、メンタルは15歳のキャパシティーしかないから、受け止めきれない。自分の中で鬱積したものがどんどん増幅してきて、消えてしまいたいという衝動に駆られたんでしょうね。『もう無理!』って。遺書を書いた記憶はありますが、本気で死のうと思ったのかはよくわからないんですよ」