バックバンドのメンバーと交際
保守的な人が多い日本社会で、エッジのきいたパフォーマンスをするのはさぞや大変だっただろう。それでも、音楽活動は楽しかったという杉本。常に行動を共にしていたバックバンドのメンバーを好きになり、交際を始めたのは自然な流れだったのかもしれない。
そして、2人で個人事務所を設立。24歳で独立するのと同時に結婚した。
「3年間一緒に暮らして石橋を叩いて渡って、あ、この人だと。会社をやっていくのに、結婚しているほうが合理的だねって(笑)。だから式も何もなしの結婚だったんです」
独立後は大手事務所と競わなくてもいい分野に活路を見いだす。ファッションフォトグラファーと組んでアート性の高いヘアヌード写真集を出すと、よく売れた。
人気バラエティー番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)から声がかかったのは独立から約5年後だ。レギュラー陣がさまざまな企画に挑戦するのが売りの番組で、『ウリナリ芸能人社交ダンス部』にバレエの経験がある杉本はピッタリだと、事務所の大小に関係なく純粋にキャスティングされたのだという。当時29歳の杉本はナンチャンこと南原清隆とペアを組んだ。
社交ダンス部が始まって数年後のこと。大会に向けて2人で厳しい練習を積んでいる最中に、杉本は肋骨を骨折してしまう。番組的には十分成立するので無理はしないでと言われたが、大会の会場で麻酔注射を9本打ってもらい踊り切った。
「ただのバラエティー番組じゃなく、ほぼドキュメンタリーなんです。自分でもおかしいんじゃないかと思うんですけど、並々ならぬ根性があるみたいで(笑)。12年間続いた社交ダンス部のメンバーとして多くの大会に出させていただき、たくさんの人が共感してくれて。番組に影響を受けてダンスの先生になった人までいると後から聞いて、テレビの良さを初めて実感しました」
社交ダンスを始めた1年後にアルゼンチンを訪れる旅番組に出演し、現地でタンゴに挑戦した。スポーツ要素の強い社交ダンスより、さらに官能的なアルゼンチンタンゴに魅了された。先生について本格的に習い、芝居とタンゴを融合させた舞台を上演するまでになった。
「踊っているときは無になれるのが、すっごい楽しくて。ちょっと神秘的な言い方をすると、エネルギーが身体に充満していく感じがして、何とも言えず心地いいんです。歌っていたときはそこまで感じたことはないので、やっぱり私は踊りなんだと思いました」
『花と蛇』では縄で縛られ肉が破れそうで
踊りに向ける努力と情熱が結実したともいえるのが、映画『花と蛇』だ。主演の杉本は世界的タンゴダンサーという設定で、妖艶な踊りをたっぷり披露している。
原作は団鬼六のSM小説『花と蛇』で、過去に何度も映画化されているが、杉本はこれまでにない映画にしたいと企画段階から参加。監督に鬼才・石井隆を逆指名した。SMシーンの撮影は「泣きそうになるくらいしんどかった」と振り返る。
「縄で縛られて吊るされるシーンは肉が破れそうな痛みで。肉体の限界を超えてくるんです、平気で(笑)」
あまりの厳しさに横で見ていてハラハラしっぱなしだったと語るのは、長年、杉本のヘアメイクを担当している重久聖子さんだ。
「逆さで水に漬けられるシーンの撮影では、彩さんの意識が飛んだときもあって、本当に死ぬんじゃないかと思いヒヤヒヤしました。もう、ありえないと思って、監督の首を絞めたいくらいだった(笑)。彩さんは責任感が強いし根性も据わっていて、極限まで頑張って何でもやっちゃうから、監督もあれをやれ、これもやれという感じになったんでしょうね。縄をほどくと皮膚が赤ーくなっていて、すごかったですよ」
杉本に聞くと、アザができただけでなく皮膚の感覚もなくなり、撮影後、半年ほどダメージが残ったという。
SMに加えて全裸でのシーンも多い際どい映画だ。ためらいや恥ずかしさはなかったのだろうか。重ねて聞いたが、杉本はあっさり否定する。
「恥ずかしさがあったら、できないですよ。そこはプロ根性というか、自分の身体は表現の道具としか思っていないので、与えられた自分の肉体をフルに活用しない手はないという感じでした」
苦労したかいがあって、映画はヒットし、杉本は女優として再注目される。
「『花と蛇』をやると腹をくくれたのは、やっぱり独立してからの不遇なんです。その悔しさとか反骨精神がなかったら、チャレンジできなかったと思います。出演を決断してから、団先生との交流が始まって、『一期は夢よ、ただ狂え』という言葉を知りました。人生なんてほんの一瞬だから、あれこれ考えず思うがままに生きろ、頑張れ。そんなメッセージなんでしょうね。心に刺さりました」
その言葉で、過酷な撮影を乗り越えられたのだろう。