お笑いの世界は大きく変化しつつある。女性芸人が多数登場し、女性が自らのアイデアと表現で人を笑わせる、新しい時代となった。「女は笑いに向いてない」と言われた時代から、女性が人を笑わせる自由を手に入れるまで。フロンティアたちの軌跡と本音を描く連載。第2弾は、清水ミチコさん。
人にウケることがこんなに快感なんだって
現在、多くの女性芸人たちが活躍しているが、日本武道館でのライブを継続して成功させているのは、清水ミチコさんだけである。ゲストはいるが、基本的にはひとりきりで、約1万人の観客を前にステージに立つ。
瀬戸内寂聴さんや小池百合子さんのマネなど、おなじみのネタから、ミュージシャンの楽曲を面白アレンジして演奏する音楽性豊かなコーナーまで。ピアノを自在に弾きながら、音楽と笑いが融合した楽しいステージを繰り広げる。
飄々と笑いをとっている姿からは想像もできないが、かつては「人前に立つことが怖くてしょうがなかった」という時期があった。
「“生まれてきてからいちばん何を勉強しましたか”と問われたら、“人前に立って落ち着くことを学んできました”と言うと思います」
というぐらい、実は緊張する性格。不安やプレッシャーから、逃げたくなったり、パニックになったりしたことは何度もあったという。
「自分でもなんとかできないかと思って、心理学の本やメンタルトレーニングの本をちまちま読むようになったんです。スケジュール帳に気をつけることをメモしたりして。まぁそれですぐに変わりはしないんですけど、ちょっとずつはマシになってきましたね。
今でも油断すると、弱い部分が出てきそうになる。武道館のような大きなステージでは、お客さんの反応が波みたいに見えて、溺れそうになることがあるんです。それは気をつけなきゃと思うところですね。人から見られていると思うとつらいから、自分から人を見るという意識でステージに出るとかね。今でも意識するようにしています」
初の単独ライブを行ったのは、1986年。渋谷の『ジァン・ジァン』という小劇場の新人オーディションに受かり、つかんだチャンスだった。観客はわずか20人ほどだったという。
「初のライブはどういうわけか、緊張せずにできたんですよ。それまでためていたネタやモノマネ講座みたいなのをやって、けっこうウケました。人にウケることがこんなに快感なんだって思っちゃいましたね」
観客の中には、いろんなライブをプロデュースしていた作家の永六輔さんもいた。翌日、永さんから連絡があり、ライブの感想を言ってくれた。
「褒めてもらえるかと思ったら、“とにかく態度が悪い”というダメ出しの嵐でした(笑)。自分では夢中で気がつかなかったんですけど、私はステージに出て名前を名乗らずにすぐ歌い始め、ネタをやり終えたらお辞儀せずに舞台を下りてしまっていたらしくて。どんなに途中でふざけた舞台でも、始まりと終わりはきちんとお辞儀して挨拶しなさい、というようなことなどを言われました」