23歳で待望の女の子の母へ
1986年2月26日午前11時、無事に元気な赤ん坊を出産。シンシアは23歳で、待望の女の子の母になる。
人生で一番幸せな時間はおっぱいをあげたあのとき。
「産んだとたん、ウソのようにすーっと痛みがなくなりました。夫が何やら声をかけてくるけれど、私はもう放心状態で、『赤ん坊は元気ですか?』とだけ聞いたのを覚えています。病室に看護師さんがやってきて、プリントを3枚ぱっと渡して去っていきました。見ると、出産後の注意事項がびっしり書き連ねてあります。
日本のように一つひとつ説明してくれるようなことはなく、とりあえずそれを読め、というわけです。アルミのチューブのようなものを渡されて、何だろうと思ったら、“子どもをこれから連れてきてお乳を飲ませるからおっぱいにそれをつけろ”と書いてある。
看護師さんが子どもを抱いてきたのを見て、なぜあんなに大変だったのか理解しました。
娘は3980gという大きな赤ん坊で、ほかの子どもたちと比べてもひと回り違います。恐る恐るおっぱいをあげると、吸盤のようにものすごい勢いで吸いついてきた。娘は生命力に満ちあふれていて、感動が押し寄せた瞬間でした。今振り返っても、あのときが私の人生の中で一番幸せな時間だったと思います」
出産の2日後、海軍病院を退院。横須賀から中村橋のアパートまで、生まれたばかりの娘を抱いて帰った。
「名前は子どもの顔を見てから決めるつもりでした。“アリシア”や“メロディ”など候補はいろいろ考えてはいたけれど、やっぱりその子にぴったりの名前をつけてあげたかった。
生まれてきた子どもの顔を見た瞬間、迷わず“クリスタル”にしようと決めました。娘の名前はもう“クリスタル”以外に考えられなかった。夫のラストネームはウイリアムズで、ミドルネームには私の本名“テイ・シュンケイ”からひとつ取ろうと考えていました。娘には、クリスタル・ケイ・ウイリアムズと名づけました」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>