月に一度のライフワークで会場を笑いの渦に
『Wコロン』の時代から、ねづっちは、生の高座を志向していた。
「板(=舞台)に立ちたい、毎日立ちたい。お笑いライブだと月にせいぜい10本ぐらいしか立てない。なんとかならないでしょうかね」
という相談を持ちかけたのが、当時所属していた『サンミュージック』の先輩芸人、『ブッチャーブラザーズ』のぶっちゃあ(68)だった。
「ぶっちゃあさんに、漫才協会を紹介してもらって、漫才協会の師匠方が出演する東洋館の番組を見て、一番面白い師匠に弟子入りしようと。それで、『Wエース』師匠に決めました」
『Wコロン』の“W”は、師匠の芸名からいただいたものである。
ピン芸人になった今も東洋館には出演している。プラス都内の寄席(浅草演芸ホール、池袋演芸場、新宿末廣亭、上野広小路亭、国立演芸場)に顔付けされる。
「ありがたいですよ。最低でも月に30本、掛け持ちで多いと50本も高座があるときがあります。お笑いライブの持ち時間は5分でしたが、寄席の持ち時間はいきなり15分。最初は大変でしたけど、今は時計を見ながら、謎かけのお題をもう一つ足せるかな、と調整しながらやっています」
お客さんにお題をいただくことで、客とのやりとりが生まれるのも謎かけならではの趣向だ。
「自分で作った謎かけを持ってくる70歳ぐらいの男性がいます。お題を出して、僕が答えると、立ち上がって紙を渡してくるんです。他のお客さんは一瞬おひねりだと思うんですが、実は自分で作った謎かけ。それを僕が発表すると、客席で『客っちです』とポーズを決めている。『これパクっていいですか』というところまでがお約束です。自分で作った謎かけとどう違うか、楽しんでいるんですね」
ひねったお題を出す、ご常連もいるという。
「“安土桃山時代のたい焼き”っていうお題がきたんです。“融通の利かない卵”っていうのもありました。お題の意味がわからないでしょ? この方は、“あずきの缶詰とタイ焼き”をくれたり、“柚子と卵”を渡してくる。ダジャレありきなので、メチャクチャなお題になるわけです」
老若男女にウケる言葉遊びの謎かけに目をつけ、紙面掲載しているのは『東京新聞』だ。朝刊の文化娯楽面に掲載される《ねづっちの謎かけ道場》(第1、第3、第5水曜掲載)は、'19年(令和元年5月1日)に始まり、丸4年。名物企画になっている。
「舞台上の言葉遊びが紙面化できるのか、という声は当初ありましたが、やってみたら意外にうまくいった」と『東京新聞』編集委員の立尾良二さん(64)は振り返る。
「2週間で150本から400本届くネタを社内で、過去作品に類似はないかなども注意し20~40本に絞り、ねづっちに渡します。そこから6本を選んでもらって、選評を書いてもらうのですが、これが最初から面白すぎて、いつかは破綻するんじゃないかと心配したこともありました。でも、そんな心配は無用でした。言葉の天才ですね」
言葉を適切に取り扱う編集委員も、ねづっちの枯れないネタ作りに脱帽する。