「香川さんは『傾城反魂香』の稽古中、全体の挨拶で“みんな頑張ろう!”と発破をかけてくれました。團子くんをはじめ、一門で舞台に集中しています。ここまできたら澤瀉屋一丸となって頑張らないとダメですよ。お客さんは、猿之助さんの舞台を楽しみにしているんですから」
猿之助の復帰を信じていることが伝わってくる。一部で報じられている逮捕の可能性については、
「そういう話は、いっさい知りません。松竹さんからも聞かされていませんし」
と、言葉少なだった。
市川右團次が澤瀉屋に復帰か
窮地に陥った澤瀉屋だが、起死回生の策が検討されているという話もある。
「猿翁さんに師事していた市川右團次さんを澤瀉屋に復帰させるという話が持ち上がっています。猿之助さんは幼名の亀治郎時代の'03年に、猿翁さんの元を離れた時期があり、そのころには右團次さんが猿之助を襲名するといわれていました。しかし結局、'12年に当時の亀治郎さんが猿之助の名跡を継ぐことに。その影響もあってなのか、右團次さんをはじめ、猿翁さんの弟子の多くが澤瀉屋を離れてしまいました」(前出・松竹関係者)
右團次に話を聞こうと自宅を訪れると、インターホンに出たのは彼の妻だった。右團次は不在だと言い、
「お答えするのは難しいと思います。申し訳ありません」
と取材に応じる気配はない。
猿之助は、なぜ歌舞伎界に災いをもたらすようなことをしてしまったのか。誰もが口をつぐむ中、とある澤瀉屋の関係者が声を潜めてこう話す。
「東大出の香川さんが“出会った中で一番頭がいい”と一目置いているのが猿之助さん。そんな人が一時の気の迷いですべてを投げ出すことをするとは考えにくい。この心中は、猿之助さんが自身の命を賭けて臨んだ“一世一代の復讐”だと思うんですよ」
猿之助はハラスメントの密告者だけでなく、香川やMに対してもやり場のない感情を抱いていたという。
「猿之助さんは、自身が気に入った役者を重用しがちなのは周知のこと。Mをはじめとするお気に入りで自分の周囲を固めていました。そんな勝手が許されるのは、猿之助という名跡のブランドを背景にした権力があってこそ。他人の意見をねじ伏せる力がありましたが、その風潮に変化もあったんです」(前出・澤瀉屋の関係者、以下同)