つねに時代の先端を行くジュリーだったが、阿久が彼に託した楽曲は、新しい価値観ではなく、むしろその逆。古き良き時代へのノスタルジィーである。

 西城秀樹が「沢田研二さんと僕は、阿久悠さんの中では、シャープとフラットの関係だったんじゃないですかね……」(『星をつくった男 阿久悠と、その時代』重松清著、講談社文庫)と話したというが、「戦後」という時代を楽器とするならば、まさに言いえて妙だろう。若者らしい情熱とパワーを阿久から与えられたヒデキに対し、ジュリーが担ったのは、時代への疑いや迷いだ。

「昔は良かった」と懐かしみ、後悔、失敗、挫折に浸る。「ワイン」という歌詞が多いのも、潰された思いや夢が心で熟成し、美しい思い出になる日が来ると言い聞かせるようだ。「男たるもの、こうありたい。そのために君もこうしてくれ」という「~くれ」も多い。そのわがままさは、まさに「勝手にしやがれ!」と言いたくなるような世界であるが、それがたまらなく愛しいのだ。

 阿久が理想とした「気障、やせ我慢」という美学を、ジュリーという素材に思いきりぶつけ、それをジュリーが120%の表現力で返すというコンビネーション。まさに、ジュリーというワインに時代が見事に酔わされた。阿久悠が作詞、沢田研二が歌唱だけでなく作曲も担当した「麗人」(1982年)は、躍動感とエロス、タブーがギュッと詰まった名曲である。

「悪趣味」をギリギリ回避した「耽美」

 大ヒット曲「勝手にしやがれ」の誕生にはこんなエピソードがある。

 1960年のジャン=リュック・ゴダールの同名映画に感動した阿久は、この映画の主人公のように「おかしく、悲しく、ぶざまで、カッコいい」世界観を歌で作りたいと思っていた。しかし、なかなかそれを歌える個性と出会えず、構想から8年後、ようやく沢田研二という逸材と出会うのである。「勝手にしやがれ」は長年の夢の成就だったのだ。

 そして、阿久は生前最後となったインタビューで、こう語っている

「『勝手にしやがれ』『サムライ』『ダーリング』『カサブランカ・ダンディ』……ああいう世界は自分の中では好きでしたけれども、沢田研二と巡り合わなかったら書かなかったでしょうね。うまくハマったからよかったものの、ちょっと外したらかなり恥ずかしい(笑)」(『阿久悠 命の詩 ~『月刊you』とその時代~』阿久悠著、講談社)

 確かに、阿久の提供したジュリーの曲は、照れたら終わり。“カッコいい”と“カッコ悪い”の分かれ目ギリギリだ。ジュリーは阿久悠の危険な賭けに巻き込まれた感もあり、そのプレッシャーたるや想像を絶する。