そして、沢田研二はこんなコメントをしている。
「僕は正直に言って、阿久さんの詩はあまり好きではなかったんです。はっきり言いすぎる。カッコ良すぎると思ったんです。(中略)これだけ強い詩を用意してこられると、僕は僕でそれに負けないようにしなくちゃいけない」(『阿久悠 歌は時代を語り続けた』阿久悠著、NHK出版)
「好きではなかった」「負けないようにしなくちゃいけない」の言葉に、苦手というより、楽曲の「難しさ、ハードルの高さ」を感じる。そして、楽曲で表現される、時代にはぐれ堕ちていく男をどうやって美しく見せるのか? 化粧をしたり、コスチュームを考えたり、彼なりの工夫が始まるのである。
歌謡曲とは、時代に淘汰されるものの置き土産。そういった意味で、時代の頂点を極めながらも、敗者の散り方をこれでもかときらびやかにデコレーションしてきた当時の彼の表現は、コンプライアンス重視と照れの現代においては絶滅危惧、いや、絶滅種といっていい。
言い方を変えれば、彼ほど「昭和」という時代特有の、けだるさ、くどさを感じられるものはない。
歌によってガラリと変える化粧とコスチュームは話題になったが、こちらもカッコいいと悪趣味のギリギリラインである。18thシングル「さよならをいう気もない」(1977年)でイヤリングを着けたのを皮切りに、テレビでのパフォーマンスでも、ウイスキーを噴き出したり、煙草をふかしたり、パナマ帽子を飛ばしたり、演出は派手になっていく。
ナチス風軍服にシースルートップスと刀で独特のデカダンを見せつけた「サムライ」(1978年)は伝説である(今では絶対無理だろう)。セットというより、もはや仮想世界の構築。これが彼の歌声とリンクし、空間や性別などを超越する一つのドラマとなっていた。
極端化していく自分を俯瞰で見ている
制作側もそのこだわりに触発され、歌番組のセットもどんどん豪華になっていったという。「ザ・ベストテン」(TBS系列)では、「TOKIO」(1980年)でデスバレー砂漠のど真ん中で、落下傘を背負った彼を空撮。「恋のバッド・チューニング」(1980年)ではカラーコンタクトを入れ、音楽に合わせて目の色を変えるというクロマキー効果を駆使した最新演出も飛び出した。
どんどんエスカレートしていく華美化。どれも濃厚な絵の具がドロリと画面から流れ出るような迫力がある。
世の中が派手なジュリーに慣れだした1982年、ザ・タイガースが再結成し「色つきの女でいてくれよ」がリリース。ソロでは「麗人」がリリースされた頃だ。濃いメイクとチャイナ風の三つ編みを振り回して歌っていたジュリーが、この曲では、ノーメイクで髪もナチュラル、服装はスーツ。逆に新鮮で、ジュリーがあどけなく見えた。
同曲も作詞は阿久悠。彼が歌う「いつまでもいつまでも」のサビは、ソロで背負い続けた「やせ我慢」とは違い素直なエールに聴こえ、とても印象的だ。