悟りを得た瞬間
藤井さんの今につながる悟りを得た瞬間だった。
「世の中には定時制高校というものがあって、そこではいろいろな事情を抱えた生徒がいる。だから配慮してくれと言っても相手には届かない。声を届けたいと思ったら、相手と同じ土俵に立たないと」
同じ土俵に上るべく、藤井さんは猛勉強を開始する。
だが小学校で不登校になったせいで分数すらわからない。小・中学校の復習をしつつ、帰り道に補導の対象となってしまう時間ぎりぎりまで職員室で先生から教わり、高校の科目の予習と復習をする毎日。
そうした猛勉強の中で目指すのは、「全日制はもちろん、定時制高校の生徒ならなおさら行かないような大学」
国公立にこだわらずにすんだのは、いよいよ生活に困窮した両親が自宅を売却して大学費用を得られたため。奨学金は必要であるにせよ、私立大学にも行ける目星がついたからだった。
藤井さんは1年間の浪人生活を前提に、本格的な受験勉強を開始する。予備校では優秀な成績で特待生に。
前出の管野先生が「予備校の成績優秀者になったという表彰状を見せてくれました。“そういうものがあるんだ”とびっくりしました(笑)」
1年後、第一志望だった早稲田大学に合格、社会科学部に進学する。
だがここで、藤井さんはかつてない落ち込みを経験する。
「念願だった大学生活が人生で一番つらかった」
「周りも喜んでくれて、自分でも“ようやくここまでこれた”と思いました。ようやっと普通のみんなと同じ土俵に立てたと。ところが友達をつくることができなかった」
周りは中高一貫校から進学したり、公立でも地元トップ校出身者などキラキラした生徒ばかり。夜間定時制高校出身者など、自分以外1人もいない。“高校時代、部活は何をやってたの?”友達づくりのそんなありふれた質問にも、答えることができなかった。
「定時制高校にも部活動はありますけど、放課後が21時以降だから、あってないようなもの。部活はやらなかったと正直に答えようとすれば、定時制高校出身のことや不登校だったこと、さらにはそうなった理由にまでさかのぼって答えなければなりません」
どうしても会話の輪に入れない。入学後1週目には、他の学生との間にはとてつもない格差があることをしみじみと悟った。“大学に入れば同じ土俵に立てる”そう思って頑張ったのに、過去の経験や蓄積には、取り戻せないものがあるのだと実感したのだ。
そんな中出会ったのが、教育社会学だった。これは教育というものを、社会とのかかわり合いから考えようという学問であるという。
教育社会学では、子どもの学力を親の職業や学歴、収入等々から読み解く。すると親の収入が高いほど子の成績がいい冷徹な事実や、家にある蔵書の数と学力にさえ、相関関係があることが見える。
教育社会学の視点から見れば、不登校や成績不良はその子自身の問題だけではなく、親の所得や学歴、成育環境など、社会とも密接に関係していることがわかってくる。
「それでひたすら図書館にこもり、勉強していました。勉強することで自分の苦しみから必死に逃げようとしていました」