しつけの厳しい祖父母の養女として育つ

 岡本は1974年、高知県四万十市で生まれた。日本屈指の清流として知られる四万十川が流れ、豊かな自然に恵まれた場所だ。

 岡本の透明感ある歌声は、澄んだ四万十川の美しさに重なる。

 両親の離婚によって、生まれてすぐに母方の祖父母に引き取られ、養女として育つ。父(祖父)は警察官、母(祖母)は教師で、しつけや勉強には厳しかったという。

母親と。実際は岡本の祖母にあたる
母親と。実際は岡本の祖母にあたる

「孫には甘いおじいちゃん、おばあちゃんは多いですが、うちは親代わりということで、まったく甘やかされませんでした。小・中学校時代は、人見知りが激しく、実の両親がいないということでいじめにもあいました。学校の書類に『養女』と書かれているのを隣の席の男の子に見られて、家庭環境をネタにされるようになったんです。運動会に祖父母しか来ないことをいじられたりもしました」

 岡本がそんないじめを乗り越えられたのはピアノの存在が大きい。ピアノを弾いているときだけはイヤなことを忘れることができた。

「家は裕福ではありませんでしたが、中古のピアノを買ってくれて、小学校3年生から高校1年生まで習わせてくれました。つらいときは一日中、何時間でもピアノを弾いていましたね。ピアノは私にとっては空気のような存在で、なくてはならないものでした。ピアノに助けられてきたので、奏でる立場になった今は、ピアノの音が誰かの救いになればいいなと思って弾いています」

 父は2007年に他界したが、母は100歳まで生き、2022年に亡くなった。

 実の父親とは1年に一度、誕生日のときだけメールを送る仲だ。一方、実の母親とは音信不通だという。

「小さいころは1年に1回くらい実の両親に会うことがありましたが、友達のお父さんやお母さんくらいの距離を感じていました。養女というのがイヤで祖父母には反抗していた時期もありますが、愛情をたくさん注いで育ててくれたので、本当に感謝でいっぱいです」

 将来は音大に進んでピアニストになるつもりだったが、高校1年生のときに聴いたDREAMS COME TRUEの『未来予想図II』に衝撃を受ける。吉田美和の歌に感動し、シンガー・ソングライターになることを夢見るようになった。

「それまで人前で歌うことは嫌いでしたが、ドリカムを聴いて、歌うことの素晴らしさを知ったんです。それからはピアノよりも歌に夢中になり、週に何度もカラオケボックスに通って歌っていました」

高知で育った子どものころの岡本真夜
高知で育った子どものころの岡本真夜

100曲の作詞・作曲を言い渡されて……

作詞・作曲の経験はなかったが、必死に作った曲の数々をプロデューサーが絶賛してくれた
作詞・作曲の経験はなかったが、必死に作った曲の数々をプロデューサーが絶賛してくれた

 高校3年生のときに歌を吹き込んだカセットテープを最初の芸能事務所に送ったところ、「東京に来ないか」とスカウトされる。

 芸能界という得体の知れない世界へ行くことに祖父母は猛反対したが、高校卒業後に家出同然で上京。アルバイトをしながら、作詞・作曲をし、ボイストレーニングを受け、デビューのチャンスを探っていた。

事務所からはデビューの条件として、100曲の作詞・作曲を言い渡されました。それまで作詞・作曲の経験はなく、バイト生活で楽器もなかったのですが、とりあえず作曲入門といった本を買ってきて読んでみることに。でもコードのことしか書いてなくて、全然意味がわからずで(笑)。仕方なく思い浮かんだ鼻歌をカセットテープに吹き込んで、それをパズルみたいに組み合わせたら、なんとなく1曲できたのが始まりです」

 結局100曲には届かなかったが、40曲を作り、鼻歌を音にしてもらった。するとプロデューサーが絶賛してくれ、その中の『TOMORROW』がデビュー曲として選ばれたのだ。『TOMORROW』の歌詞の背景には、いろいろと悩んでいたバイト仲間を励ましたいという思いがあった。また、育ての父の言葉もヒントになっている。

「家出同然で東京に飛び出した私に、父から手紙が届きました。そこには『やるからには頑張りなさい』『涙が多いのが人生だよ』と書かれていて……。苦労が多かった父の言葉が胸に響きました」

作詞・作曲の経験はなかったが、必死に作った曲の数々をプロデューサーが絶賛してくれた
作詞・作曲の経験はなかったが、必死に作った曲の数々をプロデューサーが絶賛してくれた

 これが『TOMORROW』の印象的な歌詞「涙の数だけ強くなれるよ」につながっていく。

 鼻歌で作曲ができ、多くの人の心を切なくさせる歌詞が作れる天性の才能の源は、どこにあるのだろうか。

「曲は頭の中にパッと浮かんだものを形にしています。歌詞は友達との何げない会話だったり、日常生活の中から生まれることが多いですね。実体験から書くということはそんなにはないんです(笑)」

 もうひとつ、岡本にはアーティストならではの力が備わっていた。

「小さいころから、会う人の考えていることや生い立ちなどの背景を感じ取ることが好きでした。この力がもっと強ければ占い師になれたかもしれません(笑)。相談事などで、この人はこう言っているけれど、本当は違う思いなのだろうなと感じることが多くて。そんな思いを無意識にくみとって、歌で力づけたくて、歌詞が生まれていくこともあります」