結婚・出産・離婚を経てひとり暮らしを満喫
2000年に結婚し、男児が誕生。しかし、2013年に離婚し、シングルマザーとして息子を育ててきた。
「離婚の原因のひとつは私が仕事を優先しすぎたことにあると思います。ちょうどピアニストとして活動を始めたころで、原因はそれだけではないですが、お互いの愛情のバランスがとれなくなってしまって。息子が『高校を卒業するまで公表してほしくない』と言ったので、公表を控えていたのですが、なぜかメディアに出てしまい、息子を傷つけてしまいました……。息子に謝ったら、ひと言目に『お母さん、大丈夫?』と言われ泣いてしまいました。
その息子も成人し、今は家を離れているので、ひとり暮らしを満喫しています」
元夫とは円満な関係で、息子が20歳になるまでは年に1回は3人で食事をしていた。今も変わらず息子と連絡を取ってくれているという。
モノづくりが好きな岡本は、ひとりになったことで趣味の雑貨作りにも集中でき、作ったアクセサリーやポーチなどを販売することもある。
「息子が巣立って『寂しくない?』とよく聞かれますが、意外とドライなほうで、自由な時間が増えたことがうれしいんです。ペットのマンチカン(猫)のお世話もあり寂しいと思うヒマもありません。ひとりが快適すぎて、再婚はまったく考えられないです(笑)」
東日本大震災をきっかけにピアニストとしても活動
2016年にmayo名義でピアニストデビューを果たした岡本。「もっとピアノを弾きたい」と思うようになったのは東日本大震災がきっかけだった。
「被災者の皆さんを励ますためにイベントライブに参加しましたが、『まだ歌を受け入れられない人もいる』と言われたことにショックを受けました。複雑な思いのまま帰ってきたのですが、東北のニュースを見てピアノを触ったらメロディーが浮かんできたんです。傷つき、不安で眠れない日々を送っている人たちへ、歌ではなくピアノの優しい音色なら癒しを届けられるかもしれない。そう思って、ピアノの曲も作るようになりました」
子どものころに習っていたものの、技術的な自信が持てなかったので、ピアノの先生を探してレッスンを受けることに。その2年後に、全曲ピアノのオリジナルナンバーのアルバムを発表した。
「歌よりもピアノのほうが音域に縛りがなく、自由に自分の行きたいところに行けるのが好きです。私は譜面を書くのも見るのも苦手で、基本的に頭の中で曲を覚えて弾いて、自信がないところは自分だけにわかる記号でメモ書きをするというスタイルなんです」
親しい友人でもあるジャズピアニストの国府弘子は、岡本の音楽を「本当に心のあるピアノを弾く人。作詞・作曲のセンスもすごい」と評する。
「編曲家である私の夫と真夜さんが仕事をして、録音作業でわが家に来ているうちに私も仲よくなりました。だんだん夫抜きで女子会をするようになり、ステージはもちろん、大みそかやお誕生日を一緒に過ごしたりしています」(国府)