アルゼンチン生まれ、デビューは『テニミュ』
沖縄生まれの父、チリ出身の母を持つハーフでアルゼンチンで育つ。日本には小学3年生のときに来た。
「スペイン語しかしゃべれなかったので、ひとつ下の学年の仲間と育ちました」
中2のとき友人に誘われ、バンドを組んだ。文化祭ではTHE BLUE HEARTSの『青空』を演奏。
「“生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう”、その歌詞にすごく助けまれました。その後インディーズのバンドでプロを目指すも、3年で解散。もう本当にやめようと思いながら、ひとり路上で歌っていたときにスカウトされました。24歳だったかな?」
デビュー作は、ミュージカル『テニスの王子様』('06 年)。ブレイク前の瀬戸康史や斎藤工と共演している。
「それまでは作詞作曲もしていて。自分を表現することに疲れていた中、自分じゃないけれど自分……という“演じる”ことがとても不思議な感覚で。セリフはあるから物語は考えなくていい。それがとても楽で、面白くて、何より人前に立つ心地よさを知りました」
2年後には『エリザベート』で皇太子ルドルフ役に抜擢。その後もオーディションで『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』などの大作も勝ち取り、ミュージカル界の王道を歩み続けている。
プライベートでは既婚で、2人の子どもは小学生だという。
「挨拶には厳しいですよ。でも、人生で“これをやっていきたい!”というものが見つかったら、勉強よりもそれをとことんやればいいと思う。僕自身がそうだったので。ただ妻は“それじゃ無責任”と(笑)。なので“やりたいことが見つかるまでは勉強しようね”と子どもたちには言っています」
演劇や音楽の道に進ませたい気持ちは?
「めっちゃいざなっています。でも、全然来ないですね(笑)」