昨年立候補を決め、あちこちに街頭演説など忙しく駆け回った(本人インスタグラムより)
昨年立候補を決め、あちこちに街頭演説など忙しく駆け回った(本人インスタグラムより)
【写真】ベッドに横たわり疲れ切った様子の水道橋博士

 助けになったのは家族の支え。妻は夫の代わりに働き、並行して臨床心理士の勉強を始めた。そこで得た最新の知見を持ち寄り、「もう仕事はしなくていいから。もう十分働いたよ」と言っては夫をなぐさめた。

こんな人生になるとは

 さらに3人の子どもたちには「誰しも起こりうる病気」と伝え、子どもたちも理解を示した。

妻は決して過剰に接することなく、それでいてきちんと見ていてくれた。本当に妻はよくやってくれたなと思います」と感謝の念を口にする。

 うつ病患者にどう接したらいいか。それは難しい問題で、ときに家族や周囲の人間を悩ませる。実際うつを公表した水道橋博士に対し、友人知人は遠巻きに見守り、腫れ物に触るように接していた。

でもそういうものですよね。もし逆の立場だったら、やっぱりどう声をかけたらいいかわからないと思うから

 しかし師匠のビートたけしは違った。休業を発表すると、“とにかく一度顔を出せ”と呼び出しがあった。

あわせる顔もないです、と最初はお断りしたんですけど……。師匠の別荘に行って、他の弟子たちと笑い話ばかりしていました。笑い話に始まり、笑い話に終わって、“じゃあ!”という感じ。病気の話は一切しませんでした。それも師匠らしいというか

 回復の兆しが見えてきたのは、休職から3か月近くたったころ。近所の温水プールに通い始め、同時に復帰に向けて準備に着手している。今年7月のYouTube再開を皮切りに、8月18日の誕生日には恒例の『誕生祭』を開催。会場は高円寺のライブハウスで、生配信も行った。

昨年の誕生祭のときは、“国会議員になったぞ!”といって大騒ぎしていました。まさか自分が議員になるなんて思ってもみませんでした。そこからうつ病になって、辞職して、失職して、今年の誕生日はうつヌケ帰還兵─。山あり谷ありで、こんな人生になるとは(笑)