羽生家のトップシークレットとして守られているA子さんは、今年の春ごろに仙台での生活を始めている。
前述のとおり、フィギュアスケートとの関わりも深く、
「口を開けばスケートのことばかり」(前出・フィギュアスケート関係者、以下同)
だという羽生とも話が弾むことだろう。
A子さんも復興支援に参加していた
「A子さんは、あるアイスショーで見た日本のトップ選手の演技や表現力に魅了され、その影響を受けて、バイオリンの表現も進化していったそうです。以降、フィギュアスケートの大会のテーマソングの演奏を担当したり、国内外のトップ選手との共演も数多く経験。羽生さんが世界選手権で演じたこともあるプログラムを、ともに披露したこともありました」
また、羽生との共通点も多い。
「羽生さんのスケート人生が始まったのは4歳だそうですが、A子ちゃんがバイオリンを始めたのも、同じく4歳なんです。幼少期から芸術にすべてを捧げてきたふたりですから、共鳴する部分も多いでしょうね」(A子さんの知人、以下同)
芸術家としての一面にも、重なるものがあるという。
「A子ちゃんは、世界に通用する“唯一無二の存在”を夢見て、クラシックという枠にとどまらず、新たな道を切り開いてきました。羽生さんも、'22年7月のプロ転向後、前人未到の東京ドームでのアイスショーを実現させるなど、まさに唯一無二のスケーターです。バイオリンとスケートというそれぞれ別のものを極める中で、同じ場所を目指していたのです」
そして何より、羽生の“使命”にも共感できる存在なのだそう。
「羽生さんが16歳のとき、『アイスリンク仙台』での練習中に東日本大震災が起きました。自身が被災した経験から、被災地のためになる活動を積極的に行っています。昨年3月11日には、震災当時に遺体安置所だった場所で、人々に希望を届けるべく、アイスショーを開催。被災地について考えていくことが、自身の使命だとも話していました」(前出・スケート連盟関係者)
A子さんも、復興支援活動に積極的に参加していた。
「A子ちゃんは、10代のころにコンクールで仙台を訪れていました。このこともあり、震災の翌年に行われた復興支援イベントに参加したり、A子ちゃんの地元で行われたチャリティーコンサートにも出演しています」(前出・A子さんの知人、以下同)
そこで演奏するのは、羽生にも強い思い入れのある一曲だ。
「羽生さんもエキシビションなどで演じている、東日本大震災復興支援ソング『花は咲く』を披露していたんです。その演奏に涙を流す人もいるほど、心のこもった渾身の一曲でした」
こうした姿勢に、心を打たれたのだろう。
「羽生さんの思いは常に、地元・仙台とともにあります。それに寄り添えるA子さんは、ピッタリのお相手だといえるかもしれませんね」(前出・フィギュアスケート関係者、以下同)
ただ、結婚したからといって、スケーターとしての羽生の姿勢は変わらない。
「これからも“羽生結弦”のスケートを極め、新たな世界を見せ続けてくれることでしょう」
羽生は永遠に進化し続ける――。