当然、再開発反対派からは喝采の声が湧いたものの、その一方で《明治外苑に懺悔してほしい…桑田佳祐の歌詞が生む「誤解と偏見」~》(みんかぶマガジン)というネット記事も飛び出した。そこには、この地の象徴というべきイチョウ並木が移植されて緑地面積がむしろ増えることなどから日本文化や地球環境にもプラスであることが記され《オアシスを結果的にぶっ壊してしまう妨害活動をやめてほしい》と結ばれている。

「目立ちたがり屋の芸人」

 たしかに、令和の都市開発思想は昭和の高度経済成長期のそれとは違う。桑田は自分が生まれ育った時代のような、自然破壊に直結する開発をイメージして、いわば昭和のオジサン感覚でこの曲を作ったのかもしれない。

 ただ、その姿勢には別の懐かしさも感じられる。彼はもともと、こういう人なんだよなという懐かしさだ。

 1978年『ザ・ベストテン』(TBS系)に初登場した際、

「ただの目立ちたがり屋の芸人でぇーす」

 と、自己紹介。

 その4年後『NHK紅白歌合戦』では、三波春夫のコスプレで「受信料を払いましょう」と叫び、一部視聴者のひんしゅくを買った。また、'94年にはソロアルバムの中で売れたミュージシャンの現実を戯画化する曲を書き、長渕剛とケンカするハメに。ブレイク時の「芸人」宣言を裏切ることなく、音楽界のビートたけしみたいなパフォーマンスも繰り広げていったわけだ。

 しかし、たけしが老いたように桑田も年をとった。若手が大御所をいじったり、同世代のライバルをネタにするのはそれなりに面白いが、今回はそういうものではない。本人が「若い世代にも考えるきっかけになれば」と語っているように、昔はよかった的な郷愁を啓発にすり変えているような構図にも見える。

 もちろん、それは誰にでも訪れる変化だ。そこを自覚して自分で皮肉るような曲も、彼には期待してしまうのだが─。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。