「電波少年」の破天荒すぎる企画たち

「当時は大学に通いながら、フジテレビ系列の『テレビ西日本』でケーブル捌きのバイトをしつつ、素人のモノマネ番組のオーディションに出ていたんです。その一環で、『発表!日本ものまね大賞』に出演した時、敢闘賞(優勝)を取ったんですね。

 そのあと仕事でたまたま片岡鶴太郎にお会いしたら、ものまね大賞の時に披露してた松村達雄さんのマネが良かったよと褒めて頂いて、東京で話を聞いてもらう機会があったんです。

 当時、フジテレビのスタッフさんからは『期待するな、観光のつもりで行ってこい』と言われながら、ひょうきん族の撮影スタジオにお邪魔して、相談に乗って頂いたんです。そこで思いきってたけしさんのモノマネを披露したりしてね(笑)。なんだかんだで鶴太郎さんが所属する太田プロに入ることになりました。

 その頃フジテレビは黄金時代で、『なぜフジテレビだけが伸びたのか』っていう本が売れたぐらい。モノマネ番組も色々ありましたから。フジでやってた愛川欽也さんの『全日本そっくり大賞』や、『オールナイトフジ』もその頃に出演させてもらいましたね。カメラの前で緊張しちゃって全然駄目な時もありましたけど、デビュー当初からいろんな番組に出させてもらってありがたかったですね」

 デビューしてから数年後、『進め!電波少年』の司会に抜擢される。いわゆる“アポなし”で様々な企画に、体当たりで挑戦するスタンスは話題を集めたが、出演者からしたら大変だったと振り返る。

もうアポなしどころか、当時は企画がめちゃくちゃだった。会議でありもしない企画ばかりあげて盛り上がってるんですけど、正気じゃ実現できないネタばっかなんですよ。村山富市の長い眉毛を切ってあげようとか、ユン・ピョウ(香港のアクション俳優)は本当に強いのか戦ってみようとか、榊原郁恵さんの次男が生まれた時に母乳を飲ませてもらおうとか……(苦笑)

 現場のディレクター同士は結構バチバチしてましたね。みんな『良いもの撮ってやろう』と競っているし、左右のインカムで指示が違う時は胃がキリキリしましたね。片耳ずつから『お前はどっちのディレクターにつくんだ』『なんで俺の言うこと聞かねえんだバカ!』とか聞こえてきてね。

 だからスタッフさんも辞めていく人が多かったですね。『ジュース買ってきます』と言ってそのまま失踪したり、『ちょっとアポ取ってきます』と言って帰ってこなかったり。辞めたスタッフを集めたら、オールスター感謝祭ができるくらいの人数になるんじゃないですか(笑)。

 ちなみにユン・ピョウに襲い掛かろうとした時は、その映像が番組で使えないって、プロデューサーが指示が出てたんですよ。でもその後、演出の方が勝手に独断で放送したりしたエピソードもありましたね。本当に電波のスタッフさんたちは、野武士のような人でしたよ」