1971年に発売された「明治プレーンヨーグルト」(写真左)と発売当初の明治ブルガリアヨーグルト(写真右)
1971年に発売された「明治プレーンヨーグルト」(写真左)と発売当初の明治ブルガリアヨーグルト(写真右)
【写真】1971年に発売された「明治プレーンヨーグルト」のパッケージの色が意外!

 甘くない「プレーンヨーグルト」が日本にやってきた大きなきっかけは、'70年の大阪万博。ブルガリア共和国のパビリオンで提供していたヨーグルトを、当時の明治(旧明治乳業)社員が見つけ、日本で商品化し'71年に発売したのが「明治プレーンヨーグルト」。

「ヨーグルトは民族の心」と断られる

 当時は牛乳と同じパッケージ(500ml)での販売だったという。あれ? 「ブルガリア」の名前は?

開発当時から、世の中にプレーンヨーグルトを広めるべく本場『ブルガリア』の名前をつけるべきだと考え、ブルガリア大使館を通じて交渉をしたのですが『ヨーグルトは民族の心、他国民が作ったものにその名を貸すわけにはいかない』と断られていました」(田中さん)

 その後、大使館の職員やその家族を中心に試食会を行うなど、根気よく交渉を続け、
'72年に「ブルガリア」の国名使用許可を得たという。

後年、ブルガリアの方にインタビューを行ったことがあるのですが、日本で売っているヨーグルトの中で『一番本国のものに近いのは明治ブルガリアヨーグルトだ』とコメントをいただいており、そこには自信を持っております」(田中さん)

 パッケージに書いてある「ヨーグルトの正統」という言葉も、何千年ものヨーグルトの歴史を持つ本場ブルガリアのお墨付きである証拠! ちなみに原料の生乳を発酵させるブルガリア菌とサーモフィラス菌は、ブルガリアから輸入したものを培養している、まさに由緒正しきヨーグルトなのだ。

 '73年、明治のヨーグルトは晴れて「ブルガリア」の名を冠し、本場の味を全国へ……と思いきや、加糖タイプのヨーグルトに慣れていた日本人は、プレーンヨーグルトの酸味に驚き、なかなか浸透しなかったという。

前身のプレーンヨーグルトの発売後から『すっぱい、腐ってるんじゃないか』とクレームや返品が多数発生しました。これはひとつひとつ営業担当の社員が対応してかなり大変だったと、社内でも伝説になっています。その後、フルーツパーラーなどでイベントを開き、お客様がヨーグルトを試食できる場を増やし、本場の酸味を体験していただく活動を続けてきました」(田中さん)