2人目の夫が余命宣告されてから3回訪れた沖縄は、思い出の場所。「若くても病気になる可能性はある。だからこそ健康なうちに人生会議をして、生き方について家族と気軽に話してほしいです」
2人目の夫が余命宣告されてから3回訪れた沖縄は、思い出の場所。「若くても病気になる可能性はある。だからこそ健康なうちに人生会議をして、生き方について家族と気軽に話してほしいです」
【写真】最後の抗がん剤治療後からの経過の様子

 卵巣がんを原発とした子宮体がん、肺がんの2種類、計3か所のがんが判明。幸いにも肺がんは転移したものではなく小さいこと、卵巣腫瘍の大きさは約6センチで破裂していないことなどから、卵巣がんステージ2と診断された。

不安と恐怖に押しつぶされそうに

がんだとわかったときは、病気に対する怖さより『やっと悪いものを切れるんだ』という安堵感のような、複雑な思いがありました。

 同時に、生存率が低いといわれる卵巣がんが原発と知り、ほかの人の体験談を知りたいと卵巣がんサバイバーのSNSを一生懸命探したのですが、なかなか見つけられなくて。『今年中に自分はいなくなるかもしれない』と不安と恐怖に押しつぶされそうになりました」

 手術から1か月後、抗がん剤治療が始まる。副作用で髪は抜け、味覚障害にも苦しむ。

食べることが大好きだったので何を食べてもまずいのが本当に苦痛で。夫が買ってきてくれたクリスマスケーキでさえ、味がせず砂利を食べているような食感……。お肉は鉄の味がして、好きだったコーヒーは飲める味ではなくなっていきました

 副作用が続く中、年末に最後の抗がん剤投与を終え、治療は無事終了といわれる。しかし、まだ不安はあった。

CT検査でリンパも腫れていることがわかり、腫瘍マーカーも少し高かったんです。自分の中で『これで本当に大丈夫』という気がまったくしなかった。そのため紹介状を書いてもらい、腹腔鏡でリンパ節を切除する手術『リンパ節郭清』を自費で受けました

 2回の手術と抗がん剤による治療から5年が経過。その間、リンパ浮腫や排便・排尿障害、ホットフラッシュといった後遺症に悩まされた。そんななか、2019年にYouTubeでの情報発信を開始する。

 身体がつらくて横になっている日もあるという。それでも“生きること”にひたむきなさくらさん。その背景には、2人の夫のがん闘病、死別というつらい経験がある。

「実は20代のころに結婚した同世代の夫は、私が26歳のときに急性骨髄性白血病と診断されました。闘病の末、3年後に亡くなってしまったんですよ。白血病とわかった時点で病院の無菌室に入って治療。抗がん剤の副作用がきつくて、当時は制吐剤の効きも悪く、吐き気が一日中止まらない。ドラマで見るようなそんな壮絶な闘病生活でした」