学生時代の雅子さまを知る同級生が語る
雅子さまが小学校3年から高校1年まで通われた田園調布雙葉学園の同窓生が語る。
「'90年代初頭に、雅子さまと同窓会でお会いしたときのことです。雅子さまは、すでに結婚していた私に“いいな、私も結婚したい”とおっしゃって。そのころにはお妃候補としてお名前が挙がっていましたから“皇室に嫁がれるのでは”と期待していました」
'93年6月に陛下と結婚され、皇太子妃がご誕生。日本中が“雅子さまフィーバー”に包まれる中、周囲の熱は次第に“お世継ぎ”へのプレッシャーへと変わっていく。
「'99年12月、雅子さまにご懐妊の兆候がみられたものの、残念ながら『稽留流産』となりました」(宮内庁OB)
それから2年後、'01年12月に愛子さまがお生まれに。ご誕生に際しての記者会見で雅子さまが「生まれてきてくれてありがとう」と涙ぐまれるお姿は、国民の涙を誘った。
「愛子さまが誕生されてから、雅子さまはご表情が柔らかくなったと思います。'16年に同窓会で雅子さまとお会いした際、“テレビで拝見する愛子さまのお洋服がいつも可愛らしいです”とお伝えすると、すごく喜ばれていました」(前出・同窓生)
愛子さまとともに手を取り踊られて
一方、皇位継承の資格を持つことができる男子の誕生を望む声が、雅子さまを追い詰める。'03年末には『帯状疱疹』を発症し、長期の静養に入られた。
前出の乃万さんは、病院からお帰りになる雅子さまの映像を見て、急いで陛下に連絡を取ったという。
「“これはただごとではない。心療内科か精神科医にご相談ください”とお伝えしました。その後、すぐに精神科医の大野裕先生による治療が始まりました」(乃万さん)
'04年7月、医師団は雅子さまの症状を『適応障害』であると公表した。このころ、前出の長澤さんは東宮御所へ招かれ、雅子さまとの再会を果たす。オランダ在住の長澤さんが、日本で開かれるコンサートのために一時帰国していたタイミングだった。
「当時2歳だった愛子さまは、歩いたり走り回ったりするのが楽しそうで、特に階段の上り下りがご自慢のようでした。ハープの演奏を最初は静かに聞いていらっしゃいましたけれど、ご存じの曲では雅子さまの手を取って、一緒に踊られて……。愛子さまのはしゃぎようを、雅子さまはとてもうれしそうにご覧になっていました」(長澤さん、以下同)
'06年の夏、両陛下と愛子さまは、オランダで2週間にわたり静養された。ご帰国後、長澤さんは3度目となる御所へのお招きを受ける。
「お庭で虫を捕ってきた愛子さまが、手のひらを広げて見せてくださったのが、可愛らしかったです。また、フラフープを得意げに披露してくださいました。私は、クラシック音楽が大好きでいらっしゃる陛下とともにデュエットで演奏させていただき、それを雅子さまは、とても幸せそうに聴き入られていました」