本来、同じ言葉を話し、長らく同じ時代の同じ社会で生活してきた者同士は、そうした指示語が何のことを言っているかを、自然に察知することができます。
ところが、そうした暗黙の了解は、今の若者には通用しません。
スマホ主流の機械的な環境では、「いつものあれ」といったあいまいさを、どう判断してよいやらわからないのです。
現代の若い人たちは、何を、どうしてほしいのか、具体的に言われない限り理解できないと言っても過言ではありません。
もちろん「いい感じで」「ほどほどで」……などは、NG中のNGです。
若者に伝えたいことがあれば、年配者は明確な提示を心がけなければならず、状況を砕いて説明することも、場合によっては必須です。
あいまいな言葉の理解は、各人各様
シニア世代の女性Aさんが、次のような話をしながら憤っていました。
それは、荷物の配達時間に関するトラブル。
そもそも事前に約束したのは19時ちょうど。けれど、彼女は外出先で手間取ることがあったので、帰宅を急いでもその時間にはぎりぎり間に合いそうにない……。
そこで、配達業者に「申し訳ありませんが、19時を回った頃に来ていただけませんか」と電話したら「いいですよ」と。
19時4分頃、何とか自宅に到着できたAさんだったのに、ポストの中に1枚の不在票を発見。
そこには「19時01分」と来訪時間がくっきり記されていたそうです。
確かに、1分でも過ぎたのですから、回ったことに間違いはありません。事実、若い配送業者からは「19時前には行ってないでしょ」と抗弁されたとのこと。
しかし、Aさんをはじめとする昭和世代が認識する「〇時を回る」という言葉には、ゆったりとした「間(ま)」が、その中に含まれているのです。「余裕をもってゆったりと〇時を回った頃」とでも言えば、近いでしょうか。
「昔は、こんな行き違いは、全然なかった」と、Aさんが言う通り、日本中の誰もが共通に持ち合わせていた感覚です。
けれど、昭和から平成、令和へと、時代が移るにつれて、古い言葉や感覚は、彼方に押し出されそうになっているのは、紛れもない事実です。