難聴がゆっくり進行
難聴はゆっくり進行し、高い音から失っていったが、周囲に気づかれることなく仕事を続けた。
「聞こえない音は、相手の唇を読み、表情や話の流れで予測していたので、脳はフル回転、すごいストレスでした。大声で叫びながら運転して帰ることもありましたね」(麻生さん、以下同)
つらい気持ちをほどいてくれたのが、猫。ポルクという名前のヒマラヤンの、自由気ままなふるまいに“まあ、いいか”と思えることも多く、張りつめていた気持ちをかなり楽にしてくれたようだ。そのころ知り合ったのが、今の夫となる馬場さんだ。
「ポルクは膝にも乗ってこない猫なのに、彼にはすり寄って、懐いたんですよ」
1996年、結婚を機に夫の設計事務所のある京都に居を移す。もちろんポルクも一緒だ。京都では、マンションに暮らしながら町家探し。京都ならではの古い家を求めて奔走し、ようやく見つけた町家を夫婦でリノベーションした。使い込まれた古い木の家に、日本と西洋のアンティークが置かれた住まいは、陰影に富んで美しく、多くの雑誌に掲載された。そして、古刹や老舗を訪ね、京都の文化やしきたりを学び、次々とエッセイを著した。京都のこまやかな美に、着物姿の繊細な雰囲気がよく似合った。
結婚したころは支障なく会話ができ、テレビ出演も続けていた。しかし、年を追うごとに聞き取りが困難になり、番組を選びながら、少しずつフェードアウトしていった。夫との会話も込み入った話は避けるようになり、聞こえる音もさらに狭まった。50歳で聴覚障害6級と診断され、障害者手帳をもらう。
2014年、夫の仕事の都合でロンドンに移住。「18年住んだ京都を離れるのは、リセットするのによかったのかもしれない」と振り返る。最低限の家具と荷物を預けた以外はみな処分し、夫と2匹の猫と渡英。知る人のいない町で、テムズ川を眺めたり王立公園を散歩したり。アンティーク・マーケットにもよく通った。
「聴けなくなった音楽の代わりを、川の流れが、公園の花々がしてくれました」
しがらみを離れ、リラックスできる日々だったが、5年の予定が1年で帰国することになった。
琵琶湖畔に住み、人生をリノベーション
日本に帰ると、住まい探しがスタート。イギリスの湖水地方のような湖の近くに住みたいと、関東も関西も視野に入れて探した。たどり着いたのが、琵琶湖のほとり。湖は太陽の光を受けてキラキラと輝き、静かに波打ちながら広がっていた。水際から1、2分の廃屋のような小屋に案内された。蔦がからまるその建物が、麻生さんたち夫婦の目には、ビンテージ感が漂いカッコよく映ったのだ。
リノベーションに、約1年。基礎や屋根などはプロの手を借りたが、ほかは夫婦でつくり上げた。仮の住まいから日参して大工仕事や左官仕事に精を出し、最後の2か月は住みながらの作業となった。壁を塗り、ドアをつけ、空間がほぼできたところで、預けていた家具や荷物を入れ、イギリスから持ち帰ったアンティークも置いた。
京都やイギリスの家は暗く、差し込む光と織りなす影が美しかったが、この家はたっぷりと光が入り、明るく開放的。足場板を敷いた床も、壁に飾られた鹿の角も、ワイルドで大人のカッコよさがある。
「東京では上を目指して、京都では奥を見つめてきました。ここでは心を開放して生きていきたいと思うの」
その時々の生き方が住まいにも表れているようだ。
ここは京都から電車で40分ほどなのに、のどかでゆったりした雰囲気がある。目の前には大きな琵琶湖。その際まで水田がつくられ、古い遺跡が点在し、人々が脈々と生きてきた歴史も感じられる。
「ここに住んで、毎日琵琶湖を眺めていると、こうしなきゃという考えやしきたりが小さなことに見えてきて。自由になろう、自由になっていいと思えるようになったんです」
と、柔和な笑顔で言う。
実はこうやって会話ができるようになったのは、この春から。人工内耳の手術を受けたのだ。頭皮につけたボタンのような集音(マイク)装置が音を電子信号に変換し、頭蓋骨に埋め込んだ人工内耳から、聴神経に送られ、それを脳が音として認識する仕組みになっているそう。おかげで、会話ができるようになった。