芸能事務所としての「夢グループ」
錦野さんと松方さんを紹介してくれた事務所社長が、新しい所属タレントとして石田社長のもとへ連れてきたのがヒット曲『あずさ2号』でおなじみの兄弟デュオ・狩人だった。
「最初に写真を見せられたとき、1人しかいなかったの。お兄ちゃんだけにOKをもらって、弟にはまだ話していなかったみたいなんですよ。なんで1人なの?って(笑)。でもこれがきっかけで、芸能事務所を設立することになりました」
芸能に関しては素人だった石田社長は、徐々にその「ビジネス」に疑問を持つ。
「最初は給料制で、狩人の2人にはそれぞれ月に100万円を支払っていました。でもよくよく聞いてみたら、その前の年は仕事が1本しかなかった。芸能界で往年のスターだから仕事があるものだと思い込んでいたんです。あ然としました。下調べをしなかった自分が悪いんですが……」
オファーが来なければテレビに出る機会は得られない。そこで石田社長は考えた。
「そのころタバコのポイ捨てが問題になっていて、2人にそれをテーマにした曲を作ってもらいました。区役所に電話をしたら、ちょうどゴミ拾いのキャンペーンをやるというので、狩人の2人にも参加させてもらえないかと」
その作戦は功を奏し、ゴミを拾う狩人の2人はテレビ取材を受けることになる。さらに石田社長の作戦は続く。
「すぐに仕事が来るわけではないので、日本中の商工会議所や音響屋さん、ホテル関係など5000件近くに価格表をつけたDMを送りました。値段は1ステージ80万円、2ステージだと160万円のところをバツをつけて、100万円にしました。狩人の2人には勝手に値段を下げるなと怒られましたけれど、営業がないんだからいいだろうと」
芸能業だろうと石田社長のやることに変わりはない。安くするのはお家芸である。その手腕が話題になり、往年のスターたちが次々と石田社長のもとへ集まる。そして全国を往年のスターたちが巡るキャラバンである「夢コンサート」へとつながっていくのだ。
現在も夢グループに所属する狩人の高道さんと、演歌歌手の三善英史さんは、石田社長をどう見ているのか。2人そろって話を聞かせてくれた。
「最初のころは社長はマネージャーだからギターを持ってくれていたんですよ。でもそれが今じゃ自分を売り出して一番有名になっちゃうんだから。小さいころの“夢”っていうのがいくつになっても叶えられるんだから、社長自身がまさに『希望の星』ですよ。でも三善さんは最初のころは契約を断っていたんですよね?」(高道さん)
「いやいや(笑)。普段僕たち歌手同士ではそんなに仲良くはならないものなんです。同じ現場でも一日一緒にいれば長いほうで。でも夢グループは年単位で一緒にいるから、みんなと家族みたいに仲良くなって会えないと寂しくなります。これがこのコンサートの一番のメリットですね。まあ、中には1人2人、会いたくないのもいるんだけど(笑)」(三善さん)
2人が声をそろえて言うのは、この夢コンサートを率いる石田社長がいかに芸能界の常識を逸脱しているかということだ。芸能においては素人だったからこそ、自由な発想ができる。ジャンル違いの歌手を同席させることも、往年のスターを同じレンタカーに乗せて移動することも、飛行機でみんな一緒にエコノミーに乗ることも厭わない。「こうあるべき」に対して「無駄なことはやめましょう」と言えるからこそ、往年のスターたちに「場」や「生きがい」を提供でき、観客には夢と笑顔を届けられている。