“野球と震災はこじつけるものではない”
震災から10年がたった2021年には、
《月日とともに薄れていくことも多い中で“忘れてはいけない事”“忘れられない事”も多いかと思います。自分自身できることは微力ではあると思いますが、少しでも被災地の力になれるように、まだまだ頑張っていきたいと思っています》
と、当時所属していたエンゼルスを通してコメントを発表したが、実は震災について語る場面は少ない。
「大谷選手は“野球と震災はこじつけるものではない”と考えているようです。震災によって苦しむチームメートを目の当たりにしたからこそ、簡単に口にすることができないのでしょう」(前出・スポーツ紙記者)
東日本大震災を経験し、能登半島の被災者の苦しみにも“共鳴”した大谷。地元・岩手の人の目にはどう映っているのか。奥州市の『ふるさと応援団』の顧問を務め、大谷の実家近くに住む立花公夫さんに話を聞くと……。
「翔平くんはすごいことをしたなと。ここは内陸ではありますが、震災当時は大変でした。それを思い出すと、今の能登の人たちは、なお大変だろうなと思います。そういった大変な人たちにも想いがいくのが翔平くんらしいですね」
二刀流で日本に元気を与える大谷は、これからも被災者の心に寄り添い続ける。