人生の迷走から一転、ブラジルで「飛び込み営業」

これからは作家活動にも力を入れていく、とタカさん(撮影/吉岡竜紀)
これからは作家活動にも力を入れていく、とタカさん(撮影/吉岡竜紀)
【写真】ブラジル代表FW・ネイマール選手との2ショット

 1年間のメキシコ「遊学」を終え、学生生活も7年目になっていたタカさんは、日本へ帰国して復学する。再びキャンパスライフが始まったが、タコス屋で味わった「全身全霊で今を生きている」ような感覚はそこにはなく、閉塞感のある日常に失望してしまう。就職活動を始めるという選択肢もあったが、リクルートスーツを着て、企業説明会に参加する自身の姿を想像できなかった。その時に抱いた不安を、タカさんはこう吐露する。

「自分の時間を生きると決め、その感情に素直に従って生きてきました。ところが次第に世の中の『主流』からズレていき、結局はどこにもたどり着かず、遅かれ早かれ人生に行き詰まってしまうのではないかと。とはいえ4年間、回り道をしてきて、今さらシレッと就職活動をやってしまったら、これまで自分が歩んできた道のりに対する冒涜ではないかと感じたんです」

 考え抜いた結果、リクルートスーツには袖を通さなかった。だからといって明確な道筋が決まっていたわけではない。直美さんとはすでに婚約していたから、何かしらの生活の糧も得なければならない。まさしく「自分の頭で考える」という原点に立ち返らざるを得なかった。そうして迷走を続ける中で、動画の中のネイマールに出会い、半ば衝動的にブラジルに飛んだのだ。

 夫婦で移住する計画で、現地で日本語を使える仕事を探したが、うまくいかなかった。そこで思い立ったのが、ネイマールが所属するサントスFCへの飛び込み営業だった。

 形式や前例を重んじる日本とは異なり、海外では行動力で道が切り開ける場合がある。もっともこれは、相手を説得するだけのスキルやアイデア、そして情熱が伴って初めて成立するのだが、タカさんはそれにぴったり当てはまった。

 同クラブのスタジアムを見学中に見かけたスタッフらにいきなり声をかけ、自分の思いを熱弁したのだ。

「サントスFCが日本語の公式サイトを開設してくれて、うれしく拝見しました。ところが日本語の間違いが残念ながら散見されます。せっかくの素晴らしい取り組みがもったいないので、修正したほうがいいし、僕なら解決できます」

 すると日本に帰国してから1か月後、クラブの担当者から好感触のメールが届いた。これを機に、サントスFCの日本語広報担当として日本からリモートで携わるようになった。日系ブラジル人の家庭教師もつけ、ポルトガル語によるサッカーの実況中継を聴きまくり、通訳レベルまでスキルを高めた。もっともこれには、スペイン語に堪能だったという素地が大きい。

「おかげさまでポルトガル語はわりと、頭で考えずに話せます。一応普通に雑談できるくらいのレベルです」

 涼しい顔でそう語るタカさんはその後、ネイマールだけでなく、現在はスペイン1部レアル・マドリードに所属する、同じくブラジル代表のヴィニシウス選手の通訳などを務めた。こうした実績が評価され、後に日本人選手を対象に活動の場を広げたのだ。