女性たちの助けがあったからこそ、ここまでこれた
次第に焼き鳥店が軌道に乗り始めると、酒をメインに扱うバーに業種転換することを思いつく。さらには、
「友人がキャバレーをオープンさせ活況だと教えてくれました。だったら、私もキャバレーをやってみようと思い立った。私は負けず嫌いなんです」
ちゃめっ気たっぷりに金嶋さんが話す。ただの負けず嫌いじゃない、大の負けず嫌いだと笑う。
「だったら自分は、東京を代表する大繁華街の新宿で勝負したいと思ったんです。私は、社会人になったとき、自分の家庭環境などを顧みて、後ろめたさを感じました。ですが、そうしたコンプレックスが、私の原動力になったことは間違いない。負けたくないという気持ちが、新宿へと気持ちを向かわせた」
相模原から新宿へ。しかも、高級キャバレーを始めるという。大勝負とも無謀ともとれるこの判断を、みどりさんはどう見たのか?
「布団しかない4畳半からのスタートでしたから、ダメだったらまたゼロに戻って、4畳半から始めればいい。そういう気持ちがいつもありました。親の反対を押し切って結婚したので、覚悟があったのだと思います」(みどりさん)
高級キャバレー『コンコルド』は、出だしこそ好調だったが、ツケが日常的であることから現金収入が少なく、キャッシュフローが回らなかった。「見立てが甘かった」と苦笑する金嶋さんに、追い打ちがかかる。「僕らは辞めます」。男性従業員の全員が通達してきた。いわゆる、“総上がり”である。
「成り上がりの典型ではないですが、私が不遜な態度をしていたのだと思います。『ついていけない』と言われ、とてもショックだった。思いやりや気遣いが足りなかった。気持ちを入れ替えなければいけないと、経営者としての未熟さを痛感しました」
唯一の救いは、ホステスである女性陣が誰一人辞めなかったことだった。
「お母さま、奥さま、そしてスタッフの女性たち、金嶋さんは女性に救われる運命なのかもしれませんね?」
筆者がこう水を向けると、「本当にそう思う」と頭をかく。
「今も助けられっぱなしです(笑)。頭が上がらないなぁ」
この人懐っこい笑顔を、母性が放っておけないのかもしれない。
“パブコンパ”“カラオケルーム”……負けず嫌いが商才に
『コンコルド』の失敗を生かし、スナックともキャバレーとも違う、バーテンダーがシェイカーを振るカクテル主体の店「コンパ」に活路を見いだした。加えて、イギリスの大衆酒場「パブ」の要素を取り入れ、高級クラブでもバーでもない“ありそうでなかった夜の社交場「パブコンパ」”を生み出した。
「人間は熱意が一番大切だと思うんです。熱意があると、人より考える。すると、アイデアがひらめくんです」
日本初の「カラオケルーム」も、この圧倒的な熱意によって誕生する。
先のパブコンパは、新宿で話題になると、似たような店舗が雨後のたけのこのように乱立したという。
「何か新しいアイデアはないかと試行錯誤しているときに、ある講演で岡山県でコンテナを改装し、そこにカラオケ機器を置いて商売をしているお店があると耳にしました。私自身、歌が大好きです。面白いアイデアだなと思い、池袋の「パブコンパ」を改装し、10部屋ほどのカラオケが楽しめる部屋としてリニューアルオープンしてみた」
恥ずかしがり屋の日本人は、人前で歌を歌える人とそうではない人がいる。だったら、誰もが思う存分、好きな歌を歌えるように、一つひとつ区切ればいいのではないか。飛行機好きで、とりわけゆったりとした空間のジャンボジェットが好きだった金嶋さんは、この画期的な新店舗を『747』と命名した。
「今でも鮮明に覚えていますが、信じられないくらい人が殺到した(笑)。部屋が空くのを待つお客さまで行列ができるくらい。新宿、渋谷、原宿、新橋……月に1店舗のペースで拡大していくほどでした。事業に挑戦してみたいという“事業力”こそ、私のモチベーションなんです」
『カラオケ747』は大成功を収めた。金嶋グループが、大空へと羽ばたく瞬間だった。