闘病生活をポジティブに綴ったNosukeさんのブログには、たくさんの応援コメントが寄せられていた。
何かを発信すると炎上してしまう
一方でmisonoさんはそんな夫を支えるためにも、とにかく働かざるを得なかった。朝から夜中まで1日3件仕事をこなすなど、人に頼らず自分で治療費を払おうと必死になっていたという。
「事務所を辞めてからマネージャーもつけていなかったし、言い値で仕事を受けていて、未払いもたくさんありました。それでもありがたいことにオファーは殺到していたので、どんな仕事でも受けていました。ギャラも自分で交渉しなきゃいけなかったし、スケジュールも自分で管理していたんだけど詰め込みすぎて、病室から現場へ行って、現場からまた病室に戻って仮眠したら次の現場へ向かう……、そんな毎日を送っていました」
misonoさんの苦労する姿を見て、応援してくれる人も多くいたが、批判の声も少なくはなかった。
「思ったことを思った瞬間にそのまま言動に移してしまうので、何かを発信すると炎上してしまう。《いい奥さんアピールするな》とか、《本人が一番つらいんだから一番近くにいる人がしんどいとか言ったらNosukeさん可哀想》といった意見、《こんな奥さんがそばにいたら病気にもなるよね》など。確かにそのとおりかもしれません。
けれど看病している側の人も我慢せずにため込まずに吐き出していいんだよ、気分転換や息抜きは必要だからストレス発散しようよと、とらえてほしかった。治療費のことも病院の先生とのやりとりも、やることは無数にありました。病気の人のことを考えるのはもちろんだけど、自分自身のことを考えることも必要。私が倒れたら共倒れしてしまうからと、いろんな葛藤がありました」
そうした経験から、支えている側の人まで救いたい、という思いが自然と生まれたという。現在は動物愛護団体や福祉の施設、子ども食堂や子ども宅食などのボランティア団体に、チャリティーグッズや飲食店の売り上げの一部を寄付したり、災害復興のための活動にも精力的に参加している。
世のため人のために生きたいと思うようになったのは、今まで自分が多くの人に愛や優しさをもらってきたからとも振り返る。
「歌手デビューやバラエティー番組への出演、女優業など、これまでさまざまな経験をさせてもらいました。未熟でしたが、お兄ちゃん、お姉ちゃん的存在の方がたくさんいて甘え続けてきたし、お世話になりっぱなしでした。特にたむけんさんや田村淳さんには仕事でもプライベートでもすごく可愛がってもらいました。
39歳なのに、今でも自分は“2人の妹”だと思っています(笑)。30歳以降はみんなに恩返しがしたいという気持ちが強くなっていきました。今度は自分が誰かに何かをしてあげる番なんだと」