2月になると、寒さの中にも少しずつ春の息吹を感じる。「紅梅の花はもう、見ごろを迎えるだろうか」。私はふと気にかかる。
皇族それぞれの「お印」
昭和天皇と香淳皇后の長女、東久邇成子さんのお印は「紅梅」である。お印とは、皇族が身の回りの品などに名前の代わりに用いるモチーフで、秋篠宮家の次女、佳子さまのお印は「ゆうな」であると以前、この連載で紹介した。「ゆうな」はハイビスカスの一種「オオハマボウ」の沖縄地方の呼称である。
1925(大正14)年12月6日に生まれた照宮成子内親王は、佳子さまの祖父である上皇さまの姉であり、内親王として佳子さまの大先輩にあたる。女子学習院中等科を卒業後の1943(昭和18)年10月13日、旧皇族の東久邇宮盛厚王と結婚。終戦後の1947(昭和22)年10月、11宮家の皇族が皇籍離脱したことに伴い、東久邇成子となった。一般国民となった成子さんは戦後の混乱期を乗り越えながら5人の子どもたちを育てたが、1961(昭和36)年7月23日、がんのため35歳の若さで惜しまれながら死去した。
1980(昭和55)年9月、昭和天皇は「照宮は、本当に朗らかな人で、私の話し相手としておもしろくありました。照宮は、子どもを多く持ち、終戦後、いろいろの苦労を重ねたことと思います。子どものためにも、若くして亡くなったということを、大変残念に思っています」(『陛下、お尋ね申し上げます』文春文庫)と偲んだ。
また学友の一人、岩佐(旧姓、穂積)美代子さんは、《お綺麗で聡明で、ちょっとお茶目さんで、それでいて黙って人の気持ちを見抜いてしまうような怖い所があって、ほんとうにこの方のためなら命もいらないと思わせるような方でいらした》(『岩佐美代子の眼―古典はこんなにおもしろい』笠間書院)と綴っている。小さいころから国民に親しまれてきた成子さんは、戦後、NHKの人気番組に出演したこともあった。
没後にまとめられた冊子の中に、少女時代の成子さんは昆虫が好きで、特に、スズメガ科に属する蛾の一種であるオオスカシバの幼虫(イモムシ)を、可愛がって育てたとの興味深いエピソードが紹介されている。