目次
Page 1
ー 「日本人のサンバ」はダサいものの象徴だった
Page 2
ー 「洋二スタイル」がカーニバルのトレンドに
Page 3
ー カーニバルの感想

 

 サンバの国・ブラジルで開催される世界的なお祭り「リオのカーニバル」。ブラジルが真夏となる2月もしくは3月に行われ、10組以上のチーム対抗で優勝を争う。1チームに参加するのは3000人以上といわれ、世界各国から約10万人の観客が集まるという。

 そんな「サンバの世界選手権」に、実に27回出場。現在も連続出場記録を更新し続けている日本人男性サンバダンサーが中島洋二さん(51)だ。年齢など微塵も感じさせない筋肉を彩る艶やかな衣装で、リードダンサーを務め上げている。

 今年もカーニバルを大いに盛り上げた洋二さんに、その道のりと秘訣を伺った。

「日本人のサンバ」はダサいものの象徴だった

 洋二さんがサンバに興味を持ったのは大学生のころ。大学のラテン音楽研究会のサークル活動でサンバのリズムに触れ、浅草サンバカーニバルに学生連合チームとして出場した。

「ブラジルに縁があったわけではなく、日本生まれの日本育ちです。人前で踊ったことで、まさかこんなにハマるとは自分でも思っていませんでした」

 サンバの魅力にとりつかれた洋二さんは、'95年の春休み、本場のリオのカーニバルを体験するため初めてブラジルへ向かった。その後、大学院に通いながらも現地へ幾度となく渡り、'97年に初出場を果たす。

「インターネットが普及してなかった時代に、地球の反対側から来ている日本人でしたので、現地の人は話を聞いてすらくれない状況でした。向こうのスラングでは“日本人のサンバ”とは『出来が悪いこと』の慣用句になっていたくらいです。そんな時代に1人で乗り込んだので、参加したいと言ってもみんなから鼻で笑われて、正しい集合場所や時刻を教えてもらえなかったり、大変なことがたくさんありました」

女性とペアで踊っていたころの洋二さん 写真提供/中島洋二さん
女性とペアで踊っていたころの洋二さん 写真提供/中島洋二さん

 今でこそ「サンバ留学」をするような人も増えているそうだが、当時は情報もツテもない。現地の言葉も満足に話せない日本人に、ブラジルの風当たりは強かった。が、それこそがのめり込む要因となる。

「難しければ難しいほどハマるタイプだったというか、簡単に出られる世界観だったら、すぐ満足してやめちゃったと思うんですよね。若かったのもありますが、本当にサンバが好きで、本物として扱われるようになるまで『絶対に』やめない。そういう情熱がありました」

 今年で連続出場27回、コロナ禍すらも乗り越えたその情熱は、今も消えていない。

「今では『え、日本人なの!?』と言われるほどです(笑)。ポルトガル語も話せるようになったので『(ブラジルの)どこ出身?』なんてよく聞かれますよ」

 ゴージャスな衣装がことのほか映える、彫刻のような見事な体形をキープし続けている洋二さん。だが、筋トレを始めたのは、意外にもサンバダンサーとして活動を始めてしばらくたってからだったという。

「サンバチームにはいろんなパートがあって、最初は旗を持つ女性とペアで踊る王子様のような立ち位置をしていました。そこでは大きな衣装は着るけれども身体の露出は少ないため、肉体美を求められることもありませんでした」

唯一の日本人男性プロサンバダンサー・中島洋二さん 写真提供/中島洋二さん
唯一の日本人男性プロサンバダンサー・中島洋二さん 写真提供/中島洋二さん

 さまざまなポジションを経験するうち、キャスティングによっては肌の露出が求められることが出てきたそう。

「ブラジルのカーニバルは、ダンスの技術だけではなくて、衣装や本人の身体もすべてトータルでプロデュースができていないと生き残っていけないというシビアな世界です。ダンスが同じレベルなら、ビジュアルにインパクトがあるほうが認められる。つまり、肉体も衣装の一部。それに気づいて筋トレを始めました。30歳を過ぎたころで、何かしないと劣化していくだけだと思ったのもあります」

 週に5回ジムに通っているというが、食事制限をするのはカーニバルの時期だけだとか。普段は「よく食べ、よく飲みますね」と陽気に笑う。