スタンドマイク1本とイスが1脚だけのシンプルな舞台。スーツで登場した男は、ゆっくりと腰を下ろし、しばし目を閉じ、自らにゴーサインを出すように一瞬、姿勢を正してから、おもむろに口を開く。
話芸『かたり』は、そんなふうに始まる。
山田雅人が切り開いてきた『かたり』
効果音も映像もなく、共演者もいない。照明も動かない。ただあるのは言葉だけ。物語を伝える言葉が強弱と陰影をまとい放たれ、シンプルな舞台狭しと躍動し、映像が立ち上がる。
芸能生活40周年を迎えた山田雅人が生み出し、切り開いてきた『かたり』。
長嶋茂雄さんや野村克也さんといったスポーツ選手、美空ひばりさん、島倉千代子さん、高倉健さん、加山雄三さん、爆笑問題の太田光さんら芸能人、松下幸之助さんや本田宗一郎さんなどの経済人が、『かたり』の主役として屹立する。「僕が作った芸です。もがきながら作った芸です」と山田は思い入れを語る。
『かたり』が産声を上げたのは今から15年ほど前、2008年10月のことだった。
「ずっと逃げていたんです、それまで。僕には無理だと。漫談と架空競馬実況中継ネタで持ち時間15分の高座に上がっていた人間です。いきなりひとネタで40分、50分、1時間も語るなんて無理でしょ?」
妻の山田美恵さん(58)も「若いころから好きなもの、ゴジラやオグリキャップ(競走馬)のことを語る熱量がすごくて、家族に聞かせるより、舞台でやったほうがいい、とは言っていました」と振り返る。
23歳でデビューした芸能界。48歳でつかんだ『かたり』の世界。その誕生に迫る。
観客を前のめりにする伸縮自在の編集力
昨年11月、『芸能生活40周年記念 山田雅人かたりの世界大阪公演』が行われ、年明け1月には東京公演が2daysで開かれた。
山田が初めてキャスティングされたレギュラー番組は、『鶴瓶と花の女子大生』(関西テレビ)。司会を務めていた落語家の笑福亭鶴瓶(72)が、大阪公演にゲストとして駆けつけた。
山田のネタは『WBC物語』と『藤山寛美とボク』。
「寛美さんのネタは、鶴瓶師匠がいなかったらできていません。『おまえが作れ。俺が何でもしてやる』と松竹新喜劇の人をみんな紹介してくれました」と山田が感謝すると「俺がそんなこと言った? この年になると忘れるんね、大概は」と鶴瓶。
「雅人はほんま、けったいなやつです。付き合い長いですけど。関テレでトイレ入って座って、出ていったら前におるんですよ。どうしておる?と聞いたら、いなかったら失礼かと思って。ずっと待っているほうが熱すぎるん。ほんま変わっている」と明かし、会場を爆笑させた。
大阪公演の決定を聞き、東京公演のプロデュースを買って出たのは放送作家の高田文夫(75)だった。
「('23年は大好きな)タイガースが優勝して、東京と大阪で公演ができて、こんな華やかな40周年を迎えられて幸せすぎます」と言う山田を支え、東京公演を主催した株式会社ミックスゾーン取締役の橋内慎一氏(59)は、「山田さんのしゃべりに絶妙な編集力を感じます」と指摘する。その真意はこうだ。
「取材素材のどこを強調して使うか。山田流の編集がされている。例えば、阪神の岡田(彰布)監督のことをしゃべる際にも、早稲田入学も推薦じゃなくて勉強して実力で入った、と強調する。取材したネタを編集して語るのが絶妙です。」
高田も「資料に裏打ちされているから、直したり、つなげたり、短くできたりする」と舌を巻く。「落語でも講談でも漫才でもない『かたり』。うまいところを見つけた」
東京公演の初日のネタは『WBCからドジャースへ 大谷翔平物語』と『永六輔物語』。橋内氏が指摘する“編集力”が発揮されたのは2日目のこと。
山田は『阪神タイガース 18年ぶりセ・リーグ制覇物語』と『阪神タイガース 38年ぶりのアレのアレ 日本シリーズ阪神対オリックス物語』を語ったが、その合間に、前日に明らかになった歌手の八代亜紀さんの訃報に触れ急きょ、『八代亜紀物語』を披露したのである。
通常40分程度の物語を、約10分のダイジェスト版にまとめた。伸縮自在の編集力が、観客を前のめりにさせた。