突然の余命宣告も冷静に受け止める
潔いほどのあきらめのよさは、その生い立ちにある。母は産後の肥立ちが悪く彼を出産後1週間でこの世を去り、双子の兄たちは2歳のとき海の事故で、姉は17歳のとき脳腫瘍で、父は60代のとき交通事故で亡くなっている。幼いころから大切な人たちを多く見送ってきた。
「人間誰しも早いか遅いかだから、いよいよ僕の番が来たかと、そうかわかったと。子どもたちにも、そういうことだから、と言ったんです」
しかしあきらめなかったのが4人の子どもたちだ。長女と次女を伴い病院に再度赴くと、やはり医師はモニターを向いたまま、「ステージ4」を口にした。視線を合わせることも、体調を思いやる言葉もない。
「長女は最初から頭にきていたみたいです。話の途中でいきなりICレコーダーをぽんと置いた。“何ですかっ!?”となった先生に、“何か問題でも!?”と応酬して、もうケンカ腰です。そしたら今度は次女が、“私たちは医学用語に詳しくないので録音させてください”と言い出して──」
子どもたちの決断は早かった。話が終わるとその場で「父を転院させます。がん専門の病院を紹介してください」と医師に言い寄ったという。
転院先は横浜市旭区の『神奈川県立がんセンター』で、そこでもやはり「ステージ4」と告げられた。
正式な病名は「右上葉非小細胞肺がん」で、右上の肺を原発に、胸骨、肋骨、リンパ節にも転移が認められるという。
「やっぱり、もうダメか……」と、意気消沈しかけたものの、医師の話は意外な方向に進む。「根治できずともやれることはあります。小倉さん、やれることはすべてやりましょう」