いまはどこにでもいる“学校肯定派の青年”
では、ゆたぼんのこれまでのブランディング戦略と、今後について考察していきたい。
そもそもゆたぼんがネット界隈で一躍注目を浴びる存在になれたのは、まだ幼い少年が声高に現代教育の問題点に物申し、自らの積極的選択により不登校を貫いているという、非常に稀有な存在だったから。
彼に共感・賛同する層が多くおり、それ以上に異を唱えるアンチ層も多かったのだが、いずれにしてもただの子どもが有名人になれたのは、平たく言うと“めちゃくちゃ珍しい小学生だったから”である。
要するに、彼の最大の価値は“小学生であること”だったため、中学生になりそのバリューが急落したのは言わずもがな。肩書も「少年革命家」から「青年革命家」に変えているが、“少年”だったから希少性が高かったわけで、“青年”の革命家はさほど珍しくもない。
また、「スタディ号」で日本一周するなど表向きの見栄えの変化はあれど、彼の主張はよくも悪くもほとんど変わっていなかった。だから彼が世間に飽きられていったのも、ごくごく自然な流れだったように思う。
そんな賞味期限切れが刻々と近づいている状況を一番痛感していたのは、ゆたぼん自身だったのかもしれない。
中3の2学期から学校に通い始め、公立高校に通うつもりで受験をしたのも、本当に学校の楽しさや学校で学ぶことの大切さを知ったからという理由もあるだろうが、ブランディングの再構築が急務だと感じていたという理由もありそうだ。
そして彼が選んだリブランディングの方法は、“学校否定派”から“学校肯定派”への鞍替え。小学生時代に“学校否定派”として注目を集めていた彼が“学校肯定派”に変わったことは、再び注目を集める起爆剤としては充分に機能していた。
しかし、それは悪手だったのではないだろうか。
幼い少年が“学校否定派”という意外性のある逆張りをしていたから、その存在自体にインパクトがあったのだが、そこから主張を逆転させたら、逆の逆でただのオモテ。“学校肯定派”に鞍替えした瞬間のインパクトはあったものの、いまはただの“学校肯定派の青年”。
なんの珍しさもないどこにでもいるポジションであり、存在自体のインパクトが薄れたのは言うまでもない。
かといって、“学校肯定派”への鞍替えは一度きりしか使えない飛び道具のようなものだったので、仮にまた“学校否定派”に戻ったとしたら、迷走だと叩かれ賛同者にまで呆れられて、目も当てられない惨状になってしまうだろう。
――ゆたぼんが再び存在感を示すためには、高卒認定を経て3年後に「東京大学」合格ぐらいのインパクトが必要になるのではないか。もし東大生にでもなれば、“学校否定派だった小学生が学歴社会における勝ち組になった”というストーリーが出来上がるので、再び大ブレイクすることも可能かもしれない。