“ヤクザ”だからこそ指詰めも体験する

 ヤクザとしての活動は、借金の債権回収やシャブ(覚醒剤)代の取り立て。かつて“売春島”と呼ばれていた三重県にある渡鹿野島に女性を売るなど「女のシノギ」にも関わった。

 さらに、組織に入って間もないころに“指詰め”も経験している。

「杉野組は建前上、シャブが禁止されていましたが、実際には薬物中毒ばかりで主なシノギはシャブ屋。しかし一度、組員のシャブ乱用が親分にバレたときは私が代表して指を詰めることになり、その日のうちに日本刀で左手の小指の先を落としました」

ヤクザになり活動していたころ。すでに小指はない 写真提供/西村まこさん
ヤクザになり活動していたころ。すでに小指はない 写真提供/西村まこさん
【写真】胸にはさらし、肩から腕にはいる入れ墨、見たとおり小指はない

 以来、彼女は“指落としの名人”となり、ほかの組員からも小指落としを依頼されるようになったというから驚きだ。

「指を詰めてヤクザとして箔がつきましたが、残念だったのは“レース編み”ができなくなったこと。実は、少年院時代にレース編みを習得して院内で金賞をもらうほどの腕前だったんです。でも、小指がなくなってからはレースがうまく編めなくなってしまって……。そのとき初めて『ケッ』と思いましたね」

 意外なきっかけで小指の大切さを知った西村さんだった。

「そんな毎日でしたから、自分の性別は意識せずに生活していました。でも、覚醒剤所持で刑務所入りし、2年6か月の懲役をつとめた際に、仮釈放をもらうため『ヤクザの脱退届』を書いたのですが、私が世にも珍しい女ヤクザだったせいで余計な時間がかかってしまったんです」

親分の盃を受けた際の写真。「和代」は本名。モザイク部分は旧姓が書かれている 写真提供/西村まこさん
親分の盃を受けた際の写真。「和代」は本名。モザイク部分は旧姓が書かれている 写真提供/西村まこさん

 刑務官に何度も「脱退届」の書き直しを要求され、最終的に「あんたが日本初(の女ヤクザ)だから、こんなに時間かかるんよ」と嫌みを言われたという。

「そのとき初めて『女のヤクザはいないんだ』と知りました。釈放されるときも、刑務所の門前に杉野組組員が2列に並び、出所した私に向かって『お疲れさまでした!』と一斉に頭を下げたんです。

 男子刑務所では、見慣れた放免風景かもしれませんが、女子刑務所ではなかなかお目にかかれません。女性の所長も『こんな光景は初めて見た』と慌てていました」

 日本初の女ヤクザとして、あらゆる悪事を重ねてきた西村さんだったが、現在は稼業から足を洗っている。

「結婚・出産を機に、一度ヤクザ稼業を離れましたが、40代後半で再び古巣の杉野組に戻りました。でも、昔のように筋の通ったヤクザはほとんどおらず、ただの“詐欺集団”に成り下がっていたので、すぐに辞めたんです。

 仁義もクソもない、現代のヤクザには何の未練もありません。ただ、ヤクザから足を洗っても、私の素行の悪さを嫌っている息子たちからは距離を置かれています。寂しいですが、親に似ず、まじめに育っている証拠なので無理に会おうとは思わないですね」

 親子関係は十人十色。いずれ雪解けの時が訪れるかもしれない。