大韓航空副社長(当時)のチョ・ヒョナが、機内提供のナッツに難癖をつけ、客室乗務員に怒鳴り散らしたあげく、飛行機を搭乗口に引き返させたナッツリターン事件。
大韓航空会長の長女が、ファーストクラスで横暴な態度を取ったこの騒動、韓国事情に精通する、共同通信社・編集委員兼論説委員でジャーナリストの佐藤大介さんは、「財閥に対する批判が高まり、財閥を問題視する大きな事件として扱われた」と振り返る。
「ナッツ姫」とも揶揄されたヒョナは暴行、強要、業務妨害罪の3つの罪に問われ、懲役10か月、執行猶予2年の有罪判決が下るも、国民感情はチョ一族にまで飛び火。家事手伝いの不法雇用、ヒョナの妹のパワハラ問題、会長のチョ・ヤンホの横領容疑など、一族そのものが炎上するまでの騒動へと発展した。
「一過性の盛り上がり」
だが、これだけ大きな関心を集めたにもかかわらず、「韓国特有の一過性の盛り上がり。現在、ヒョナをはじめチョ一族に関心を寄せる人はいない」と佐藤さんは話す。
「ヒョナは表舞台に姿を現さず、大韓航空を擁する財閥・韓進グループの経営も一族経営ではなくなりました」(佐藤さん、以下同)
身から出た錆とはいえ、ヒョナは弟との権力闘争に敗れ、訴訟の果てに夫と離婚。心機一転を図ったのか、2023年7月にはチョ・スンヨンに改名した。
「この騒動で、現在も韓国国民の目に触れる機会があるのは、ヒョナの命令によって機内から降ろされたチーフパーサーのパク・チャンジン氏です。彼は、2017年に左派色の強い『正義党』という政党に加わり、副代表にも就任しましたが、2022年に脱党し、現在は最大野党『共に民主党』の系列政党に加わっています。最大野党に加わることで、おそらく政治的な発言力と存在感を高めようという狙いがあると思われます」
正義党時代、彼はパワハラで苦しむ人のための相談所を設立し、その相談所の名前が「ナッツ」。韓流ドラマさながらの展開だ。
佐藤さんは、「財閥解体が叫ばれた事件だったが、10年たっても韓国社会の本質は変わっていない」と苦笑する。
「報道としては盛り上がったけれど、今も大韓航空に入りたいという人は後を絶たず、競争社会が続いている。当時、親ガチャではないですが、自分の人生が血筋や出自で決まることに辟易し、財閥は目の敵としてやり玉に挙げられた。しかし相変わらず若者たちは就職難に悩まされている。あれだけ社会を騒がせた財閥の事件があっても変わっていないんですね。そこに問題の深さを感じます」
取材・文/我妻弘崇