「彼女は“信頼とは何か”をずっと考え続けてきた人だと思うんです」
そう中森明菜について思いを巡らせるのは、かつてワーナー・パイオニアで明菜の宣伝を担当した富岡信夫氏だ。
16歳でデビューして、トップスターへと駆け上がった明菜は、数奇な人生を歩んできた。
「明菜さんの人生に陰りが出たのは、やはり近藤真彦さんとの破局からでしょう。1989年末には近藤さんと破局会見を開き、所属していた研音も辞め、事務所を転々とするように……。1995年に母親が病気で他界すると、家族とは絶縁。その後も“お母さん”とまで慕った女性に裏切られ、彼女は孤独だったと思います」(芸能ライター、以下同)
精神的にも肉体的にもボロボロとなった明菜は、2010年に活動を休止する。
「2014年末にNHK紅白歌合戦で復帰するも、2017年のディナーショーを最後に再び活動を休止。正直なところ、もう二度と表舞台には戻ってこないのではないかとも思っていました」
2022年8月、明菜が再始動を宣言してから約2年。ついにその姿を見せる。
「59歳の誕生日である7月13日に合わせて、7月12日から3日間の日程で、明菜さんがファンクラブイベントを開催します。イベントは3時間半を予定しており、そのうち明菜さんが登場するのは1時間ほどになるそう。トークだけでなく生歌も披露されることになっています。食事も出される、いわゆるディナーショー形式のようです」(スポーツ紙記者)
《声も顔も違う》以上に失われたもの
明菜が人前に登場するのは、約6年半ぶり。2023年12月に開設した公式YouTubeチャンネルでは、4月から過去楽曲のJAZZバージョンを歌う動画が配信された。ファンが歓喜する中、齢を重ねた明菜の姿に《声も顔も違う》といった心ない意見も。
「外見はともかく、声は変化するものですから、しょうがない。それよりデビュー当時に音楽関係者らがこぞって絶賛した、明菜さん唯一無二の魅力である“表現力”が消えてしまったのかもしれないと感じました。彼女の歌を聴くと、以前は自然と涙が出るような胸を打つ感覚があったのに、それがないのです」(レコード会社関係者)