C-C-B時代は給料制、円満退社で脱退した
1985年、『Romanticが止まらない』の大ヒットで一躍スターダムに駆け上がったC-C-B。関口はその後、脱退しているが、結成のきっかけは'80年代らしい軽やかさだった。
「僕が原宿のカフェバーでアルバイトをしていたときに、近くにあったビクターエンタテインメントの人がよく飲みに来てくれていたんです。もともとバンドを組んで音楽活動をしていたので、制作担当の人にオリジナル曲のデモテープを渡したら、ちょうど新しいバンドをつくっているという話をされて、僕に白羽の矢が立ちました」
こうしてベースの渡辺英樹、ドラムの笠浩二、ほかのメンバーとともに和製ザ・ビーチ・ボーイズをイメージしたコーラスができるバンドCoconut Boys(ココナッツボーイズ)が誕生した。
「レコードを出してデビューできると聞いて、自分がやっていたバンドやソロ活動はどうでもよくなったんです。でも、そんなに甘くはありません。デビュー曲がCMに採用されてもまったく売れず、2年間は鳴かず飛ばずでした」
しかし、テレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)の主題歌の話が舞い込んでくる。折しも担当プロデューサーの兄が作曲家の筒美京平だったことからビッグネームに曲を依頼できることに。すると筒美から「松本隆が歌詞を書くなら引き受ける」という条件を出され、作曲は筒美京平、作詞は松本隆というゴールデンコンビでの楽曲が誕生した。それが3枚目のシングル『Romanticが止まらない』だ。
「それまでの曲も有名な方に作ってもらっていたので、ゴールデンコンビとはいえ『本当に売れるの?』と期待半分でした。これがダメだったらもうやめようと思っていたくらいです。笠くんはドラマーでしたが、彼のハイトーンボイスが美しく、この曲では彼がリードボーカルをとることに決定しました。ドラマーが歌うというスタイルが新鮮で、みんなビックリしたと思います。でもおかげで大ヒットとなり、レコード大賞の金賞を受賞したり、『紅白歌合戦』にも出場しました」
全国に顔が知られるようになり、テレビ出演やレコーディング、ライブで大忙しとなったが、売れて裕福になったという感覚はゼロだった。
「当時は給料制で、レコードの売り上げによって印税が入ってくるわけではなかったので、生活が大きく変わることはなかったんです。実家住まいのメンバーは給料には無頓着でしたけど、僕は高校生のときからバイトをしながら一人暮らしをしてきて、経済的な苦労を経験しています。だから、こんなにヒット曲を連発しているのに給料が上がらないことが頭にきて、抗議の意味でリハーサルを1回休んだことも。すると社長が慌ててやって来て、やっと給料を上げてもらえました(笑)」
『Romanticが止まらない』のあと、出す曲はすべてヒットし、人気は衰えることがなかったC-C-B。しかし、関口はメンバーとの方向性の違いに疑問を抱くことが多くなった。
「みんながやりたいのは激しいロックで、僕がやりたいのはギター1本での弾き語りだったんです。自分が前に出るのではなく、誰かに楽曲を提供したいという希望もありました。みんなと目指している方向が違うため、これ以上は続けられないと思い、脱退したいと伝えたんです。『こんなに人気があるときにやめるなんて』とメンバーからは猛反対されましたが、最終的にはやりたい音楽をそれぞれやっていこうと納得してくれて、円満退社みたいなものでした。英樹とはそのあともバンドを組んだりして、メンバーとの交流も続いていました。世間で噂されているような仲たがいはありません」