小説家や役者に挑戦するも、酒に溺れて困窮
1987年に関口はC-C-Bを脱退し、ソロとしてデビュー。中森明菜、五木ひろし、羽野晶紀などへの楽曲提供も行った。しかし自身の曲はヒットせず、次第にレコード会社と距離ができていく。
「C-C-Bのイメージが強かったので、夢や希望のある明るい楽曲を期待されていたのでしょう。でも僕は弾き語りでシリアスな現実を歌うスタイルだったので、『そういった曲は望んでいない』という空気が伝わってきました。中森明菜さんに提供した『二人静』がヒットしたので、ちょっとは挽回できたとは思いますが、その後はレコード会社から離れ、役者をやったり、小説を書いたり。小説は文学賞を目指して10年くらい頑張ったけどダメでした。役者のほうは何本も映画に出ているのですが完全に黒歴史です(笑)。自分が出ている映画を見るのは拷問に近い感覚ですね。ただ名前が売れているからといって芝居なんてできるもんじゃないと痛感しました」
迷走する時期が続くと次第に酒量が増えていく。1日にウイスキーのボトルを2本空けて、1日中酔っぱらっているような“酒クズ”になってしまったという関口。それまで入っていた印税も少なくなり、ある日、預金通帳の残高を見て呆然とする。
「お金が減っているのはわかっていたのですが、やがてまた盛り返すだろうみたいな変な期待があったんです。でも、もう数万円しか残ってなくて、こんなに少なくなっていたのかとさすがに焦り、アルバイトをせざるを得なくなりました。音楽学校の講師やラーメン店のホール係などをやって生活費を稼いでいたんです」
2008年にC-C-Bを再結成したのも、お金の問題が大きかった。
「正直、バイト生活にも疲れていたので、再結成の話には飛びつきました。英樹と笠くんと一緒にレコーディングして、カバー・アルバムをリリースし、テレビ出演やライブツアーも行いました。
最初は懐かしくて楽しかったのですが、もともとプロデューサーの方から持ちかけられた話で、自発的なものではありません。自分がやりたいこととは違うし、それは他のメンバーも同じで、結局続きませんでした。ただライブにファンの方がたくさん来てくださったのにはびっくりして、多くの人たちがC-C-Bを長く愛してくれていたことが本当にありがたかったですね」
メンバーの早すぎる死で再結成は不可能に
当時はみんな40代。渡辺、笠ともに元気で、酒クズとなっていた関口が一番、身体が弱っていたという。
「これまで心筋梗塞、急性肝炎、糖尿病、うつ病を発症し、しょっちゅう入院してきました。メンバーの中では自分が真っ先に死ぬだろうと思っていたので、まさかこの2人がこんなに若くして亡くなるなんてね」
渡辺は2015年、大動脈解離で倒れ55歳で亡くなった。
「お見舞いに行ったときはもう意識がなくて。メンバーの中では一番仲がよくて、他のバンドも一緒にやっていたのに。英樹がこんなふうに突然死んでしまうなんて信じられず、受け入れるまでにずいぶん時間がかかりました」
さらに2022年には笠が脳梗塞により60歳で亡くなっている。
「ちょうどライブに行く途中、バスを待っているときに知り合いが電話で訃報を知らせてくれました。来たバスに乗れないくらいの衝撃で頭が真っ白になりましたが、なんとかライブ会場に行ってやりきって。ステージで笠くんのことに触れてしまうと演奏ができなくなりそうだったので一切触れませんでした。お客さんももちろん訃報を知っているのですが、僕を刺激せず、温かく迎えてくれて、ありがたいお客さんだと思いましたね」
メンバー2人の早い死が関口にもたらした影響は大きい。
「ファンもスタッフも、この2人がこんなに早く死ぬなんて思ってなかったはずです。いつかまた集まってくれるのではと期待していたファンも大勢いたでしょう。笠くんのボーカルと英樹のベースがないとC-C-Bはどうにもならないバンドなので、もう再結成は不可能になってしまった。僕がXを熱心にやり始めたのは、あの2人がもういないので、ファンに感謝を伝えるのは自分の役目だと思ったからです」