破門を言い渡された修行時代
破門を言い渡され、先輩の鶴瓶に相談に行くとひと言、「旅に出ぇ……」。
落ち込んだ自分を、より冷たい風と海で落ち込ませようということで能登半島へ。
「今、思えば、番組を降ろされて本当に落ち込んでいたのかどうかっていうと、解放感もありましたからね(笑)。
放浪の旅をしているときも、ラジオのプロデューサーに手紙を書いたり、今こんなの歌ってますというカセットテープを送ったり。そんなとき、スキー場でバイトしているときに歌った音源を『アミューズ』の会長さんが聴いてくれて、会いたいと言ってくれたんです」
しくじりが転じて成功への道が開けた。アミューズの大阪事務所で働くことに。そこで運命的な出会いがあった。
「有線放送にアミューズ所属のアーティストの曲を売り込む仕事をして、パーティーでの司会もやれって言われて。まだ新しい会社で、大阪を“攻めよう”という時期。打ち上げで裸になって盛り上げて、有線チャートはグングン上がって。
それもあってか、サザンオールスターズの桑田佳祐さんに気に入っていただいたんです。当時、桑田さんは『嘉門雄三』という別名でもライブをしており、その名字を譲り受けました。前座を務めて、桑田さんのソロライブにも2回、出していただきました」
1983年に出した『ヤンキーの兄ちゃんのうた』がヒット。
「次の年に『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』を出しました。そのころ、さんまさんもダウンタウンも『ヤングタウン』から人気者になっていくわけです。落語界でも僕よりも後に入ってきた桂雀々とかがめちゃくちゃ面白くて。喋(しゃべ)りでは勝てんと思った」