海外親善の原点
佳子さまにとって海外親善の原点ともいえるタイ旅行だった。
それから遡ること18年前、19歳の学習院大学生だった秋篠宮さまは、学習院を中心とした友人や先生たちと初めてタイの調査研修旅行を体験した。1985年8月14日から24日の日程で、訪問先はバンコクや古都アユタヤ、スコータイ、チェンマイなど。秋篠宮さまと友人計13人ほどで、先生2人が同行した。関係者によると、アジアのどこかの国へ行きたいという話になり、王朝があり、歴史も古くて面白そうなタイはどうだろうか?という議論となり、「自分たちのこの目で、実際に確かめてみよう」と、タイへの調査旅行が決まったという。
訪問前に東南アジア史研究の第一人者でタイの歴史にも詳しい京都大学名誉教授、石井米雄氏から話を聴き、8月13日、東京から大阪に移動。国立民族学博物館で専門家から講義を受け、伊丹空港(当時)からタイに向けて出発した。当時、日本大使館専門調査員でタイに詳しい赤木攻・大阪外国語大学名誉教授(元同大学学長)がバンコクで一行と合流し、案内役を務めた。
タイでは早朝から活動を開始し、夕食後は深夜まで、その日訪れた場所などの感想や意見交換をするなど、「きわめてストイックな日々で、参加者たちのその後の人生に大きな影響を与えた旅だった」(関係者)という。終戦の日の8月15日の正午、秋篠宮さまが黙禱するのに合わせて全員で、戦没者たちに黙禱を捧げた。タイ調査旅行の思い出について秋篠宮さまは次のように語っている。
《アユタヤの手前にあるバンパインという昔の離宮に行きました。そこにはかなり大きなお堀がありまして、魚が泳いでいるのです。よく見ましたらテッポウウオでした。口から水鉄砲のように水を発射して、空中の虫を射落として食べる魚です。
歩いているうちに橋があって、そのそばでパンを売っていました。魚のエサだと言うのですね。3、4斤もある大きな塊です。ちぎってあげようとしたら、そのまま投げ込めと言われた。そこで大きな塊を放り投げたら、下から何か出てきてひと飲みにパクッと食べてしまったんです。東南アジアにはこんなにすごい魚がいるのかと感心しました。それからタイに興味を持って仕事をするようになりました》
(筆者著『秋篠宮さま』より)