子どもを授かったことが私の人生のハイライト

 大きな転機はフリーになって15年目で、思いがけず子どもを授かった。44歳のときで、雪野アナいわく「これが私の人生のハイライト」。

 しかし子宮筋腫を患い、命がけの大手術に。出産は3時間かかり、出血多量で3000ccの輸血を行っている。

「子宮筋腫が見つかったのは40歳のとき。子宮筋腫は妊娠すると大きくなるけど、私はもう出産することもないだろうと温存していたんです。ところが妊娠がわかって。最終的に子宮筋腫が子どもの頭より大きくなって、さらに横位だったので帝王切開で産んでいます」

 子どもの父親とは結婚せず、いわゆる事実婚。戸籍上はシングルマザーだが、「“結婚しようよ”って言ったら相手が“しない”って言うからしょうがないなと思って。でも結婚していたら別れていたと思うから同じこと」と笑い飛ばす。

 子どもの父親とは今もいい関係が続いているよう。

「彼と2人の子どもたちと4人でごはんを食べたりもします。上の子はお母さんが違うけど、子どもたち2人で会っていたりするようです。彼とケンカをしたことはないですね。だから父親と母親が仲悪いところは見たことがないと思います」

 ところで、今後人生を共にするパートナーは? 特別なお相手はいるのだろうか。

「今はいません。子どもを超える人が現れないと無理だし、現れないと思う。それよりまずお嫁さんの顔が見たいですね。どんな女性を選ぶんだろうと。でも大抵みんな母親と同じタイプを連れてくるというから、ヤバイなと思って(笑)」

 今も変わらぬ若々しさの秘訣は、趣味のバレエ。アナウンサーになる前はバレリーナを目指していたと言い、「昔の仲間と一緒に発表会に出ています(笑)」と、パワフルにアラ還を謳歌する。

 現在は企業研修で人材育成にあたり、さらにイベントの司会やアナウンススクールの講師と多忙な日々が続く。

「とりあえず子どもが大学卒業するまで、65歳までは仕事をしようと思っています。でもいざ65歳になったら、70歳までやるかとか言い出しそう(笑)。まぁそうは言っても辞め時ってあると思うんですよね。

 いくら元気でも見ていて痛々しかったり、老害なんて言われるのは嫌。ヤバイと思ったら早めに言ってと息子にも言っています。ただ息子には、どうせ辞めないじゃんって言われますけど(笑)」

雪野智世(ゆきの・ともよ)●1963年生まれ。'86年テレビ朝日入社、ニュース、スポーツ、バラエティーなどジャンルにとらわれることなく局アナとして活動し、'95年にテレビ朝日退社後フリーに。仕事、子育て、自分磨き、毎日楽しく生きるマインドなどの講演も行う。