由緒正しきバックボーンから生まれるギャップ
假屋崎省吾、通称、いや、愛称カーリー。誰もが知る華道家、フラワーアーティストの大家なのに、愛嬌に満ちた雰囲気や口調、親しみを感じさせるキャラとフェミニンな容姿などで、ついカーリーと呼んでしまう。
これはもはや、敬称でもある。尊敬されつつ、そんな呼び方をされている華道家など2人といない。
そんなカーリーの、花をいけることのモットーは、空間に調和しながら自己主張もし、違和感のない空間芸術をつくることだとされている。
確かに観る者は、100年昔からこの花はここにあったとも思わされる。たとえそれが、布で作られたポップな造花であっても。ただし人々のため息とともにこぼれる感嘆は、きれい、ではなく、可愛い、に変わるが。
広大な庭園にはカーリーの作品ではない、元からそこにある牡丹なども咲き誇っていたが、その先住者たる根を張った花々と、いっときご一緒させてもらいますと運び込まれたカーリーの切り花が、引き立て合い調和し、春の盛りの旧岩崎邸は花園に君臨し、花園に支配されていた。
別棟に建てられたスイスの山小屋風の、撞球室。カーリーは芝生の庭に集まった人たちを前に、その出入り口の前でいけばなのパフォーマンスを行った。
かつては、テレビにもよく出ていた。その由緒正しきバックボーンに優雅なたたずまい、なのにぶっちゃけおもしろトークの、ピタリとはまっているような、大きなギャップがあるような、得難いキャラで人気を博したものだが。
「テレビって、言っちゃいけないことや、言いたくても言えないことや、制約がいろいろあって、そこに少し疲れたかもしれない」
人生の師匠とする美輪明宏さんへの思い
本人は、自らテレビから遠ざかり、今はブログをはじめとしたSNS、そして直接的にファンと触れ合える現場へと軸足を完全に移している。
「今はYouTubeもあるし、インスタのライブなんかもあるし、こっちのほうが自由に発信できて、もっと身近に触れ合える感じだし」
そう、若い人にとっては、テレビでなくてもカーリーの姿は見えて話も聞ける。若い人はテレビより、スマホの中のカーリーがリアルなのだ。
そしてテレビをよく見ていた世代としては、あまりにもカーリーの存在感、インパクトが強くて、いまだに先日テレビで見ました、と言ってしまうのだ。
現実のカーリーを目の当たりにすると、テレビによく出ていたころと見た目にほとんど変化がない、というのもある。金色に染めていた髪は、染料が染みて傷むのを気にして、ナチュラルなシルバーに変えたそうだが。
「今日は季節の花である、藤や小手毬を持ってきました」
わかりやすい解説と、軽妙な語り口。何よりも、花への愛。華道のそれではないが、人生の師匠という俳優・美輪明宏さんの、カーリーへの言葉が今、観る人たちの目の前に展開されていく。