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ー 「家族優先ではない本来の“永井美奈子”を取り戻さなきゃって」
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ー クラシック音楽のプロデュース業を開始

テレビ全盛の'80〜'90年代、華やかな活躍を見せた“女性アナ”たち。時がたち、還暦を迎える年齢となった現在はどのような生活を送っているのか。かつての苦労や第二の人生について、元日本テレビアナウンサーの永井美奈子さん(58)に話を聞いた──。

「家族優先ではない本来の“永井美奈子”を取り戻さなきゃって」

「すべて昔と勝手が違って、もう浦島太郎でした(笑)」

 と言うのは、元日本テレビアナウンサーの永井美奈子(58)。

 結婚出産を機にテレビから距離を置いていたが、一昨年20年ぶりに復帰。元祖アイドルアナといわれた彼女も今やアラ還で、「昔と一番違うのは、テレビが4Kになったこと。あれは本当に困ります。細かいしわや毛穴まで全部映ってしまうので」と笑う。

 成城大学時代は「ミス成城」に輝く評判の美貌。バブル真っ盛りのころで、バイトはモーターショーのコンパニオン、遊び場は『マハラジャ』。

大学4年間はとにかく弾けてました。でも入社したとき、六本木のディスコクイーンが入ってくるってちょっと噂になったんです。これはマズイと思って、入社後は夜遊びも合コンもせずひたすら地味に過ごすようにしてました(笑)」

 売れっ子アナのイメージが強いが、下積み時代は長く、「最初の4年間は本当に仕事がなくて。1週間ほとんど仕事がない時期もありました」

 と振り返る。そこでアナウンサーとしての姿勢を叩き込まれた。今とは違い、新人教育も手加減なし。厳しく叱責されることも日常茶飯事だ。

「日テレのアナウンス部は体育会系だったので厳しかったですね。あなたたちはあくまでアナウンサーだから、アナウンスメントをちゃんとするのが仕事と教え込まれました。人気が出てくると足をすくわれるようなこともあるけれど、あの教えがあったから勘違いせずにこられた気がします」

 入社当時、日テレの視聴率は振るわなかった。しかしやがて黄金時代がやってくる。朝から晩まで視聴率トップが続き、3冠王に輝く。

 彼女も下積み時代を脱却し、『ジパングあさ6』『マジカル頭脳パワー!!』をはじめ、多くのレギュラーを抱えている。

「日テレの黄金期でした。報償金がすごくて、例えば高視聴率になると会社から金一封が出るんです。それが番組にストックされていくのだけれど、『ジパングあさ6』は月〜金だから5日間貯まりっぱなし。スタッフ全員でヨーロッパに行ったり、ハワイにも行きました」

 日テレ開局40周年時には、後輩の藪本雅子、米森麻美とDORAを結成。歌にドラマとアイドル並みの活躍で、“女子アナ”ブームを巻き起こした。

「寝る時間はなかったですね。3、4時間の睡眠を細切れでとる感じ。やっぱりしんどかったし、日テレを辞めたのもそれが理由の一つでした」

 フリーに転身後、36歳で結婚。妊娠・出産と並行して、大学院のメディア研究科で学ぶ。実は学生復帰は結婚前からの計画だったという。

「出会いもないし、もう私はこのまま結婚しないだろうなと思っていたんです。それで大学院に行く準備を始めていたら、夫と出会って──」